深読み!海外名作絵本100

発表から25歳年以上読み継がれている”これだけは読んでおきたい”海外の名作絵本の数々。 読み聞かせ歴15年、のべ9000名をこえる子どもたちに絵本を読んできました

『せいめいのれきし』時間のながれを感じる絵本

読みごたえ満点の絵本です。
生命の歴史という壮大なテーマを、
絵本という形にみごとにまとめてあります。
 
バートンさんは、
『いたずらきかんしゃ ちゅうちゅう』
『ちいさなおうち』などで知られる日本でもお馴染みの絵本作家です。

 

 

 

この絵本が日本で発表された1964年に、来日しています。
 

 

日本で読み続かれて50数年、
2015年に現在の知見をもとにして、
文が改定された改訂版が出版されました。
 

 

恐竜が登場したり、劇仕立てになっているので、
読みやすくなっていますよ。
 

 

大人が読んでも、素晴らしい絵本です。
歴史や理科がもっと好きになるかもしれません。
 

 

じっと眺めていると、劇場にいる気分になってきます。
 

 

せいめいのれきし
地球上にせいめいがうまれたときからいままでのおはなし

バージニア・リー・バートン 作
石井 桃子 訳
ページ: 76
サイズ: 25.4x23.8cm
出版社: 岩波書店
出版年: 1964年
 

この絵本はナビゲーターが舞台に現れ、
歴史の場面を劇場の場面に見立てています。
 

 

太陽誕生の銀河系から始まり現代の人々の生活まで、
地球上の生命の歴史がダイナミックに語られます。
 

 

見開きページ右側には舞台の枠があり、
舞台上に絵は描かれています。
 

 

落ち着いた色調で丁寧に、丹念に描かれ、
左ページにはナビゲーターが語る文章が、
わかりやすく書かれています。
 

 

見事なグラフィックデザインに注目する

表紙は黄色を基調として、
赤や緑で生物や植物が描かれ、
中央に看板のように
せいめいのれきし 
 地球上にせいめいがうまれたときからいままでのおはなし
とあります。
 

 

まず表紙をめくると見返しに「古生物の図鑑」とあり、
見開き全体に黒を背景に、
主にグレーで動植物が地層の文様のように、
細かく描かれています。
 

 

渦巻き状に時が流れる絵巻物のごとく、
物語を俯瞰しているようです。
 

 

中表紙は劇場の観客席に多くの人々が行きかい賑やかで、
舞台はえんじ色の幕が引かれています。
 

 

次のページ、右には劇の「プログラム」の表紙の絵があり、
左には右上から右下に螺旋状に、宇宙と地球の様子が描かれています。
 
 
このパターンは最後まで続きます。
作者のバートンの構成力が見事です。
 

 

時の流れと出来事を延々と語るもの終わらせず、
劇に見立てて今の人に語らせて、
今ここ(現在)、
との関わりを常に意識させるものになっているようです。
 

 

各場面の左下にナビゲーターが登場して語っています。
スポットライトを浴びているナビゲーターの身長から、
舞台の大きさは
高さ九メートル幅十メートルくらいでしょうか
 

 

そこに地球の物語が展開します。
 

 

歴史を刻むもの・人間登場以前は地球が生きもののよう

 
目次は「場面」となっており、
 

 

プロローグが6場、
1幕・古生代が6場、
2幕・中生代4場、
3幕・新生代5場、
4幕・現世5場、
5幕・このごろのひとびとの生活8場、
エピローグ
 

 

いよいよ舞台の幕が開きます

考えられないほど大昔、太陽がうまれましした。 そしてこの太陽は、何億、何兆という星の集まりである、 銀河系とよばれる星雲のなかの、ひとつの星です。
この一文ではじまります。
 

 

プロローグでは地球の成り立ちが、
火の玉の地球やうねる山々、
大きな雨粒の降り注ぐ様子などが描かれています。
 

 

冷えた地球を古くなったリンゴに例えて、
地球のしわが山や谷、海の床を作った、とあります。
この場面では火成岩や変成岩、水成岩の成り立ちが語られます。
 

 
そして1幕の海の底に舞台は移ります。
およそ五億五千万年前、
古生代に生まれた海の生き物を中心に進み、
古生代二畳紀の陸上に生物が進出するまでが流れていきます。
 

 

古生代の海が深緑の海と赤い水生植物など、
色鮮やかに描き出されています。
海底と海上の景色は刻々と変化していき、
植物も動物も繁殖していく様が場面ごとに、
百万年単位で描かれています。
 

 

左のページには、
水成岩の地層で発見された様々な生物が、
年代の移り変わりとともに記されています。
 

 

1幕5場は石炭紀、植物の時代です。
水っぽい大森林におおわれた地球です。
そして1幕最後の6場は、爬虫類が登場し、
2億年前まできました。
 

 

舞台は2幕の中生代へ。
三畳紀ジュラ紀白亜紀の地球は爬虫類王国です。
 

 
かみなりりゅう(プロントサウルス)やけんりゅう(ステゴザウルス)、
くびながりゅうや暴君りゅう(ティラノサウルス)が登場します。
 

 

舞台は、水中も陸上も空中も爬虫類だらけです。
舞台上でナレーターが巨大爬虫類に恐れおののいている姿がユニークです。
 

 

大きな雨のふりしきる地球や、
大きな植物に覆われる地球、
大きな氷河、大きな恐竜たちがうじゃうじゃと現れます。
 

 

地球は大きいものたちの世界です。
地球のダイナミックな動きに目を見張ります。
 

 

さて3幕では隆盛だった爬虫類は六千年前を期に姿を消し、
新生代へ入ります。
 

人間の登場、加速する時間

 
哺乳類の登場する時代、
舞台は緑の木々と草地が描かれています。
 

 

巨大な山々を背景に巨大な哺乳類が闊歩する時代。
およそ百万年前のラクダやサイ、ゾウの先祖が、
誕生した様子が語られます。
 

 

3幕5場は氷河期の地球です。
マンモスも描かれ、人間も登場したとあります。
にんげんは、すでにうまれていたでしょう。
でも、まだたいした力は、もっていませんでした。
とあります。
次はいよいよ人間が登場する舞台です。
 

 

歴史を記すものたち・人間の時代の到来で地球の未来は?

 
およそ2万5000年前ころ、
4幕の始まり、人間の時代です。
舞台は洞窟で暮らす人々がいます。
舞台の端にずっといたナビゲーターがこの場面だけいません。
 

 

2場からは机の前に座った人が登場します。
机上や床にたくさんの本が積んであります。
人間の歴史をひも解いているのでしょうか。
 

 

人間の歴史が一気に語られ、
3場からは舞台がアメリカ大陸に移ります。
(作者がアメリカ人です)
およそ三百五十年年前、
舞台は開拓者たちが苦労して
土地を開墾し農業に従事する様子が4場まで描かれます。
 

 

そして5場では農場が森になっています。
みな西部や都会に移り住んだというのです。
 

 

そして5幕
そこには画家であろう人物(作者のバートン?)が
森に移り住んで暮らしています。
場面の真ん中には家が2軒あって、
ずっとこちらを向いています。
 

 

1場は緑に輝く季節。畑を耕し動物たちが草地にいます。
夏から秋、木々は紅葉し、空には渡り鳥の群れが南に飛んでいきます。
そして冬、雪に覆われた家と山々、そり遊びする子どもと雪かきする人々。
春を待ち望んで暮らします。
 

 
4場季節は巡り早春、
新しい芽をだす植物が新しい緑をたたえています。
 

 

5場では春のある1日、
絵を描いて過ごし、太陽は優しく輝きりんごの花が見事に咲いています。
 

 

6場は午後の時間、
明るいピンクに染まった空に新月が出ています。
人々は家路につきます。
 

 

人間が登場して以来、
時の流れが加速したように感じられます。
 

 

出来事の密度が高くなって、
記されることは歴史の中で詰まっていくばかりです。
 

 

そして夜、7場
時計が時を刻み1日が終わり新しい日がはじまります。
 

 

舞台は満点の星空です。
この暗闇で2棟あった家は小さな1軒の家に変わっています。
 

 

ある春の夜明けが描かれ、
お話は私たちに委ねられていきます。
 

過去と今と未来と

 
ひとつの窓辺に
   さあこれで、わたしのおはなしは、おわります。
   こんどはあなたがはなすばんです あなたの窓の外をごらんなさい。
   じき、太陽が、のぼります。
 
舞台の幕は半分閉じられてはじめています。
舞台左端でこちらに手を振る女性がいます。
これが5幕8場、最後の舞台です。
 

 

次のページをめくると螺旋のリボン状に各世代
(いきもののじだい・新生代・第四期・現世・にんげんのじだい・
二十世紀・紀元・・・年・五月・六日・五時・三十三分)が明記され、
窓辺の時計に続きます。
 

 

窓は開かれ太陽が輝いています。
 

 

そして最後のページ、
明るい黄色とグレーの2色で博物館の断面図が、
見開きいっぱいに描かれています。
多くの人々が見学しています。
 

 

今まで見てきたことがここに集約されています。
壮大な宇宙空間から一軒の家の窓に辿りついた
『せいめいのれきし』という絵本。
 

 

今、この時この場が過去と未来に続いている、
 

 

そんなことを感じさせてくれる
稀有な絵本なのです。
 

  こちらもバートンさんの絵本。

 

 
ご訪問ありがとうございます。
絵本選びのきっかけになればうれしいです。
 

 

『かえでがおか農場のいちねん』1年と季節の農場の仕事がわかる

子どもたちは日々を、今を全力で生きています。
1年という時間をわかるのはいつ頃でしょうか。
 
小学生になると、1年たって2年生に、3年生にと、
1年を実感できるでしょう。
 
今は多くの子が、幼稚園や保育園へいくでしょうから、
園や家庭や行われる季節の行事を体験していると思います。
 
そこでは楽しい催しに、とにかく熱中することでしょう。
 
 
 
 
かえでがおか農場のいちねん

 
 
アリス・プロベンセン/マーティンプロベンセン 作
サイズ: 31.8x23.2cm
出版社: ポルプ出版
出版年: 1980年

いきいきと描かれる農場と動物たちの姿

1月から12月まで、月ごとに農場の自然の様子が,季節の往来とともに観察されています。
 
冬、真っ白な1月、
ヒツジはかたまり、
干し草を馬に運ぶ少年。
スケートをする子どもたちと、
森のカラス、そしてガチョウ。
 
春は動物たちの出産ラッシュ、
卵を抱えるニワトリ、
毛皮のコートえお脱ぐヒツジ。
 
夏の緑と花々に覆われる農場に、
あふれんばかりの動物たち。
 
夏の終わりのけだるい動物たち。
空気が変わる秋。収穫の秋。
動物たちに虫下しの薬を飲ませるのに忙しい。
 
冬のはじまりころのあわただしい農場。
そして早く夜になり早く眠る季節。
動物は動物らしく、自然は美しく厳しく、
人々は笑顔で描かれています。
 
あたりまえの世界がきちんと描かれていることで、 安心感をもてる、そんな絵本です。

64x47cmの絵から、鳥やかぼちゃの数を数えてみる

大型絵本といわれる大判サイズで見ごたえもあります。
 
いろんな動物を一緒にさがすのも楽しいです。
 
年齢によって楽しみ方がかわる絵本です。
 
見開きにすると64x47cmの大画面です。
 
一面に描かれているページもあれば,4場面、8場面、11場面と細かく描かれている様子もあって、それぞれに生き生きとした動物がいるのです。
 
大きな羊の毛並みが立派な番犬は
おーーッ」と思える様相です。
 
景色も1月から順に移り変わって色彩が変わります.
 
秋の一面オレンジ色に染まる景色に、心の中で歓声をあげました。
 
小学校でも四季が描かれているので、いつでも読むことができる重宝な絵本です。
 
子どもたちは生きものに興味はあるけれど、直接ふれる機会は減っているかもしれませんね。
 
絵本から、この動物をみてみたい
と思ってもらえるきっかけになるかもしれません。
 

季節の仕事をたんたんと

大事件は起こりませんが、黙々と季節の仕事に取りか組む姿をとおして1年をつくっています。
 
すこし前の暮らしは子どもたちにとって、おとぎ話のようで不思議な世界かもしれません。
 
この絵本は、めぐる季節と仕事を通して流れる時間を感じさせてくれる絵本だと思います。
 
 
ご訪問ありがとうございます。
絵本選びのきっかけになればうれしいです。

 

『スーザンのかくれんぼ』かくれることから見えてくる世界

表紙の鮮やかさから、初夏に読みたくなる絵本です。

イエローレモンの黄色は太陽の陽ざしを感じさせます。

「かくれんぼ」といえば子どもの遊びの定番ですが、それをキーワードに子どもの繊細な気持ちに寄り添える、そんなおはなしです。

読んだ人それぞれの「かくれんぼ」体験がよみがえってくるような気がします。

 

スーザンのかくれんぼ

ルイス・スロボドロキン 作

やまぬし としこ 訳

ページ: 32

サイズ: 25.6 x 20.8

出版社: 偕成社

発売日: 2006年(1961年)

 

表紙からワクワクを想像する

なんといっても目を引くのがその色です。 フレッシュグリーン、レモンイエローがまぶしい表紙は鮮やか。

そして、これも鮮やかなピンク色の絵本のタイトル『スーザンのかくれんぼ』の文字が踊ります。

大きな木の陰からあたりを伺う女の子の服の色は自転車と同じ赤い色です。

表紙のから得られる印象は夏に向かう新緑の季節を少し過ぎたあたりでしょうか。 背中を見せるスーザンの顔は表紙からはわかりません。その横に優し気なまなざしでスーザンを見る隣の家のご婦人。

さてさて、どんな「かくれんぼ」がはじまるのかしらと、期待が膨らむのです。

 

秘密のかくれ場所を探す

さて、おはなしは・・・

スーザンは無理やり嫌いなクモを見せようとする兄さんたちから逃れるために、庭で隠れる場所をさがしています。

「かくれるのに、とっても いいとこ ないかしら?」

スーザンは、まずおかあさんに聞いてみて、かくれます。するとすぐにお隣のおばさんに見つかって、またかくれ場所をきくのです。

木の後ろ、物置のかげ、バラの茂み、犬小屋…けれどすぐに見つかってしまいます。

「どこへ かくれようかしら……」 そう 考えながら、しずかに しずかに すわっている スーザンは、 やなぎのえだに、すっぽりと つつまれていました。

大きな柳が枝を低く垂らしている影にいるスーザン。 隠れようとしていたわけではありません。

ところが、今度はだれもスーザンを見つけられません。

兄さんたち、郵便屋さん、おとなりのおばさん、ゲリーさん、おかあさん。

「そんな すてきな かくればしょって、どこだろう?」

柳の前でみんなは考えています。

そこへ

「あたし、ここに いるわ!」 みんなはびっくりします。 「まあ、スーザンったら!どこに かくれていたの?」

 

スーザンはもちろん誰にも隠れていた場所を教えませんでした。スーザンにとって自分だけの秘密の場所。けれど孤独ではない、そんな場所をスーザンは手に入れたのでしょう。

 

ひとりの時間を楽しむ子ども

 

スーザンは、度々そこに隠れます。

低く垂れた大きな柳の木の下は、涼しくて気持ちよい場所。不思議とそこにいるスーザンを見た人はいないのです。この時のスーザンは、大切な秘密の場所で自分だけの時間を大切に過ごしています。

 

仲間と楽しく遊ぶのと同じくらいひとりで過ごすこともまた子どもには楽しみなのだ、とこの絵本で思い出しました。

 

そして、かくれること。

子どもは大好きです。

 

スーザンは嫌なことから逃げて隠れ場所を求めていますが、隠れ場所を得て嬉しそうなスーザン。 自分が隠れた場所から、いつもの場所がどんな風に動いているのか興味深々のようです。

そういえば、かくれんぼって隠れているとき、なんだかいつもワクワク、ドキドキして外を覗いていました。

 

自分の世界を作る楽しさ

息子が5歳くらいの頃、部屋の片隅に自分のスペースを囲い、お気に入りのものを揃えて「自分の場所」を作っていました。 そこには、自分で作った弓矢、風呂敷のマント、作った刀、積み木で囲ったなかに丁寧に並べておいてあります。 そしてそれらを身に着け出かけます。(家の中ですが^^)自ら作ったものを身に着け、自らが動いておはなしを作っているかのようでした。

自分だけのひとりきりの秘密を少しづつ増やしながら育っていくようにも思います

もちろんかくれんぼも大好きで、見つけると嬉しそうにしていましたっけ、あれは4歳? 5歳?

 

息子の「かくれんぼ」は楽しそうでしたが(家では)、私自身の「かくれんぼ」はちょっと怖い思い出もあったりします。 母方の家で従妹がたくさん集まった時のかくれんぼは慣れない場所ということもあり、誰も見つけてくれなかったときはどうしよう…と不安になった記憶があります。 畏怖や恐れを遊びで知るのも大切なことなのですね。

スーザンの隠れ場所となった柳の木。

大きな木の下ってなんだか、落ち着きませんか。きっとスーザンもそうだったのでは、と思います。

 

そこは特別な場所ではありません。いつもだれもが知っていながら知られない。 見えているようで見えない場所。そんな場所はそこここにある、ということなのでしょう。

 

意識する着目点の違いが、見える見えないを決めていますね。

 

このおはなしは本当にあったことを元にして絵本にした、と作者のスロボトキンが書いています。

 

お読みいただきありがとうございます。

絵本選びのきっかけになればうれしいです。

『ちいさいおうち』家に刻まれる物語

鮮やかな青い背景に赤い壁の家。

表紙に描かれる「ちいさなおうち」は窓は目、入り口のドアが鼻、エントランスが口に見えて人のようです。

ほぼ真ん中に描かれたこの「おうち」は、ページをぱらぱらとめくるとほとんどがいつも同じ位置に描かれています。

 

「おうち」が建つ場所も住む人も環境も絵本の中でどんどん変わっていきますが、「おうち」はいつもそこにあります。

 

ちなみに息子はレゴや積み木でおうちを作るのが大好きでした。

細部にこだわり小物にこだわり配置にこだわり、作るとしばらくその「おうち」と遊んでいましたっけ。

 

小学校で読む時はちょっと長めのおはなしなので、特別に時間をいただいた時に読んでいました。

3~4年生まで読むことが多かったですね。じっくり最後まで聞いてくれました。

『ちいさいおうち』

バージニア・リー・バートン ぶんとえ

いしいももこ やく

ページ: 40

サイズ: 24.2 x 23

出版社: 岩波書店

出版年: 1965年

「おうち」のまわり景色の変化

りんごの花

こちらを見て笑っている「ちいさなおうち」のおはなしの1ページめはこうです。

むかし むかし、ずっと いなかの しずかな ところに ちいさいおうちが ありました。 それは、ちいさい きれいなうちでした。 しっかり じょうぶに たてられていました。 この じょうぶないえを たてたひとは いいました。 「どんなにたくさん おかねをくれるといわれても、 このいえを うることはできないぞ。わたしたちの まごの まごの そのまた まごのときまで、 このいえは、きっとりっぱに たっているだろう。

こうして昔話のようにはじまる、このおはなし。 しっかり丈夫に建てた家の人たちの暮らしがはじまります。

朝、おひさまが悠々と大きく明るい。

夜、星と月のほの暗いおうちのまわり、遠くに町の明かり。

時はどんどん過ぎていきます。

 

「おうち」暮らすのはおとうさんとおかあさん、子どもが4人。

 

春、りんごの花が咲き、新緑の若草色に彩られて畑を耕す人々、小川で遊ぶ子どもたち、馬車で道を行き交う人々。

夏、濃くなった緑におおわれて育つ作物、水遊びする子どもたち。

秋、黄金色に色づいた耕作地、りんご積みをする人々。

冬、真っ白になった「おうち」のまわりで雪遊びをする子どもたち。

 

くる年もくる年も繰り返します。

きのうと きょうとは、いつでも すこしづつ ちがいました… ただ ちいさいおうちだけは いつも おなじでした。

最初にこんなふうに語られています。ですが、そんな日々が少しづつ変化していきます。

 

バートンさんの描く「おうち」とそのまわりの風景は丁寧に丁寧に描かれていきます。

変わらぬようで少しづつ変わっていく景色と暮らす人々。

 

りんごの木も年をとり新しい木に植え替えられています。

子どもはいつまでも子どもではありません。

大きくなって町へ出ていきました。

遠くにみえた町の明かりは、近くに大きくみえるようになってきました。

 

「ちいさなおうち」は、かわらず笑ってみえます。

暮らしていた家族6人はおうちの大きさに対して描かれているので匿名性があります。

(顔はわかりません。姿かたちで老若男女が知れます)

 

ある意味(アメリカの)どこの町にも見られた景色なのかもしれませんね。

※作者のバートンさんはアメリカ人です

 

変わらない家と、時とともに変わりゆく家のまわりの景色

りんごの花

のどかな丘は年月とともに開発され、道路ができ家々が立ち並び、いつしか住む人もいなくなりました。

「ちいさなおうち」のまわりは馬車は減り車が行き交うようになり、スチームショベルやトラックがやってきて広い道路を作っていきます。

そうしてどんどん、どんどん車が増えまわりに家を立ち並び、そののち大きなアパートやら工場やらお店やら駐車場が「ちいさいおうち」を取り囲んでしまいました。

 

もう「ちいさいおうち」に住む人はいません。

ある夜、「ちいさいおうち」は思います。

「ここは、もう まちになってしまったのだ。」

電車が家の前を行き交うようになり、人々は大急ぎでかけまわり、高架線が行き来し、空はちいさくなりました。

地下鉄ができ、25階と35階建てのビルが後方にできました。

ちいさいおうちは、すっかり しょんぼり してしまいました。 ぺんきは はげ、まどは こわれ、よろいどは はずれて、ななめに さがっていました。ちいさなおうちは、みすぼらしくなって しまったのです……かべや やねは むかしと おなじように ちゃんとしているのに。

ビルの谷間と大勢の人々に埋もれてしまった「ちいさいおうち」。

ひっそりと、そこにあるのです。

 

みすぼらしい姿になった「ちいさいおうち」を可哀想と思うでしょうか。

確かに最初にみた「ちいさなおうち」の生き生きとした姿をみたらそう思うかもしれませんね。

 

変わりゆくものと変わらぬもの

そんなある春の朝、「ちいさいおうち」を建てた孫の孫の孫にあたる人が、「ちいさいおうち」を見つけます。

彼女の記憶の中のいなかの「ちいさなおうち」とは景色がまるで違っていたことに驚きました。

作りがしっかりしているので、どこへでも持っていける、と建築屋さんのお墨付きで「ちいさなおうち」は引っ越すことになります。

 

ちいさいおうちは、広い野原の真ん中に居場所をみつけました。ちゃんと以前のようにリンゴの木がある丘。

また、人が住むようになって、朝昼夜と春夏秋冬をながめることができるようになったのです。

 

こうして、あたらしい おかのうえに おちついて、 ちいさいおうちは うれしそうに にっこりしました。

 

絵本のちいさなおうちは、人の顔のようにみえますね。

どのページにも窓の目、ドアの鼻、玄関の口、屋根は頭と変わるまわりの景色で表情を変えながら、ずっとこちらをみています。

町から引っ越しするときに、ちょっと怖がってみたり、面白いと思ってみたり、いい場所が見つかると「ああ ここがいい」と思ってみたり。

強い主張は書かれていませんが、ちゃんと「おうち」の思いも描かれています。

 

「おうち」はしずかな田舎が気にいっているようです。

最初は田舎にありましたからね。そこがお気に入りなのもうなづけます。

 

バートンさんの明るい色彩に心弾みます。「おうち」の赤い色や表情が、微妙に変化しています。

「おうち」の気持ちになって、まわりの変化を感じてみると楽しいですね。

 

バートンさんは『せいめいのれきし』もそうでしたが、「時間」を見事に描く方だと思います。

 

「ちいさなおうち」のノスタルジー

この絵本を読んだとき、家への憧憬を思い出しました。

自分の生まれ育った家、子どもの頃の記憶にある家は、大人になっても印象に残ることがありますね。

 

母の実家はまわりが田んぼに囲まれた田舎にあり、まさに映画『となりのトトロ』のさつきとメイの村の環境にそっくりです。

小山にある神社や大きな木、田んぼのあぜ道のうねり具合まで同じで驚いたものです。「まっくろくろすけ」をみた記憶も蘇りました。

その時代の定型だったのでしょうね。

 

子どもたちも大人も自分なりの「ちいさいおうち」を心にもっているのかも知れません。

そんなあこがれも思い出させてくれる絵本でした。

 

ご訪問ありがとうございます。

絵本選びのきっかけになればうれしいです。

『パンやのくまさん』◆誠実・実直・礼儀正しさが描かれる

やや小ぶりのサイズの絵本は、小学校の教室で20人の読み聞かせで読むより、図書室で数人の時に読む絵本でした。

表紙のどこか懐かしい絵のタッチは野暮ったくさえみえます。

はじめて出版されたのは1979年、アメリカ。日本では1987年に訳されています。

この絵本はシリーズでお仕事もの。

 

ゆうびんやのくまさん

うえきやくまさん

ぼくじょうくまさん

せきたんやくまさん

 

とその丁寧な仕事と暮らしぶりが描かれている絵本です。

 

パンやのくまさん

フィービとセルビ・ウォージントン さく

まさき るりこ やく

ページ: 32

サイズ: 20.6x15.2

出版社: 福音館書店

出版年: 1987年

 

仕事の流れをきちんと知る

パンやのくまさん

この絵本にはパンやさんが、どんな仕事でどんなものが必要で、なにをするのか実直に描かれています。

1日の流れがそのまま物語となっており、朝起きて眠るまでのおはなし。

 

そんなの面白いの?

面白いですよ。

 

それは「パンやがくまさん」だからではないかと思います。

 

さて、ひとまずパンやのくまさんの1日を追ってみます。

最初のページにはくまさんの紹介。

あるところに、パンやのくまさんが、すんでいました。 くまさんは、パンをうるみせと、くるまを 1だい、もっていました。 くまさんは、パンや、パイや、おたんじょうパーティーのための とくべつタルトや ケーキを やきます。

 

お店がなくてはパンやはできませんし、ちゃんと車も持っていることが書いてあります。

 

  • 朝はとても早く起きて、かまどに火を入れながらお茶を飲む
  • エプロンをかけパンの生地をつくる
  • 生地がふくらむ間に朝ごはんを食べる
  • パンやケーキが焼きあがると、半分はお店に並べ半分は車に積む
  • 運転して通りで鐘をならしてパンや来たと知らせる
  • 近所の人たちが出てきてパンを買っていく
  • 誕生パーティのケーキを届ける
  • 店に戻り店番をして近所の人たちがパンを買いに来る
  • お店にきた子どもたちにキャンディーをあげる
  • パンが全部売れてお店をしめて、晩ごはんをたべる
  • ごはんがすむとお金を数え、貯金箱にしまう
  • 2階にあがって目覚まし時計をかけベッドに入り眠る

 

(見開きに1行で内容をまとめています)

薪 オーブン パンやのくまさん

この1日がパンやさんの一日です。

パン作り、店番、車での移動販売、ケーキのお届け、会計まで、すべてがひとりでこなします。

 

淡々と語られる文は左にずっと配置され、右に絵が描かれています。

絵本を読んでもらいながら絵を見ているといろんなことに気がつきます。

 

  • 大忙しのパンやさん、ごはんは朝晩の2回なんですね
  • 台所には石炭があるからそれで火を起こしているんだ
  • パンを寝かす時にはちゃんと布をかけて発酵をまっています
  • 朝ごはんはハムエッグ?コーンフレークも食べてる?
  • お店のなまえは「Taddy Bear Baker」なんだ
  • 子どもにキャンデーあげてる時間は3時だった
  • お店の掲示板に「自転車ゆずります 5さいむき」「乗馬レッスンいかが」「ダンスパーティー」の案内
  • レジがタイプライターみたい
  • 晩ごはんを食べる部屋には立派な暖炉。マフィンを火にあぶってる
  • 赤い瓶はイチゴジャム?
  • 大きなソファに読みかけの本がおいてある
  • お金の勘定しているくまさん、ペンはつけペンを使ってる
  • 夜8時にはベッドへ。釣りの本がベッドサイドに(釣りが趣味?)
  • パッチワークのベッドカバーがかわいい
  • まくらは2つ重ねるの?
  • 壁紙が花模様
  • コック帽は寝る時だけはずすんだね

 

何気ないいつもの1日の様子が描かれ語られていますが、くまさんとそのまわりの暮らしぶりが見えてきます

近所の人たちがくまさんのお店に来るのは、くまさんが礼儀正しいからです。

 

きんじょのひとたちは、 くまさんが とても れいぎただしいので、 くまさんのおみせに くるのが だいすきです。 くまさんは、いつも わすれずに、「おはようございます」とか、 「いらっしゃいませ」とか、「ありがとうございます」といいます。

 

と、こんな文があります。

なぜ、くまさんのお店が繁盛しているのか「ちゃんと理由がある」ということなのでしょうか。

イギリス的な感じだと思ってしまいました。(笑)

 

細部にこそ絵本の楽しみは宿りますね。

 

 

「くまさんがパンや」さん、現実でありながら現実でない世界観を楽しむ

パンやのくまさん

テディベアとは「くまのぬいぐるみ」のことです。

その名前は第26代アメリカ合衆国大統領セオドア・ルーズベルトに由来する(Wikipedia)そうで、一方ドイツでも同時期にシュタイフ社がクマのぬいぐるみを大量にアメリカに輸出したとか。

世界初のテディベアメーカーとしてシュタイフ社は有名です。

 

私の印象ではテディベアはイギリスの印象が強かったので意外でした。

『パンやのくまさん』はイギリスの絵本だったからかもしれません。

 

この絵本の世界は不思議です。

もちろん絵本では動物と人間たちが自然に関わりあったものはたくさんありますが、人形にくま「テディベア」が主人公というのはユニークです。

ぬいぐるみのくまが、絵本の中を動き回るのは、不思議な感じ、でも面白い。

背景も登場する人間たちも(パンやのお客さんは人間なのです)なんだか人形のようにみえてきます。

 

色彩も大人しめのパステルカラーで水彩絵の具をまだらに塗った感じで物語に違和感なく自然に溶け込んでいます。

人の表情はむしろ蝋人形のようで、くまさんのほうが生き生きして見えるのは私だけでしょうか。

 

もしかして人形なのは人間も、なのかも……と思えてきます。

テディベアと遊んでいたら、その世界にいつの間にか入り込んでいるかのような錯覚を起こすのです

最初は違和感を感じていた絵本のなのですが、いく度となくながめ読むうち、その錯覚が楽しくなりました。

 

子どもたちはむしろその錯覚を自然に受け入れ自分のものにできる人たちなのでしょう。

人形に話しかけ人格を与え、一緒に楽しみ、泣いたり、笑ったり、怒ったりしていますね。

きっとそんな彼らにはこの絵本の世界がすーっと入ってくるのでしょう。

現実を忠実かつ具体的にまでに描いた絵本は、実は超空想世界の産物だったのかもしれませんね。

 

さいごに

 

この絵本は息子が絵本を読み始めた頃よく読んでいました。

小学生になっても時折読むと、(数年前のことなのに)懐かしそうにしているのがおかしかったです。

子供時代でもきちんと過去が存在しています。

高校生になったときも絵本をながめて「シュールだね~」なんていっておりました。

ご訪問ありがとうございます。

絵本選びのきっかけになればうれしいです。

『三びきのやぎのがらがらどん』迫力ある絵を楽しもう

きっと絵本は保育園や幼稚園に通っている子なら必ず知っている絵本です。

園でも必ずといっていいほど置いてありますね。

小学校の入学間もない1年生によく読みましたが、この絵本を持って教室に入ると

「知ってるー!」

と嬉しい声があちらこちらから飛んできます。

子どもたちにとって知っている絵本を読んでもらうことも、大きな楽しみのひとつなのですね。

 

三びきのやぎのがらがらどん

マーシャ・ブラウン え

せた ていじ やく

ページ: 32

サイズ: 25.4x20.2cm

出版社: 福音館書店

出版年: 1965年

トロルがいる世界と北欧の民話世界、畏怖できる存在があること

ノルウェー 村

三びきのやぎが踊るように橋を渡っている表紙がの、落ち着いた青色の背景が目を惹きます。

アスビョルンセンとモーの北欧民話とあります。

アスビョルンセンは大学で植物学を学んでいましたが、グリム童話に触発されて、知人のヨルゲン・モーとともにノルウェー各地を巡り伝説や民話を集めたと人です。

『三びきのやぎのがらがらどん』は『ノルウェー民話集』に収められているお話です。

北欧のおはなしには、よくトロル(Troll)が登場します。

呼び方もトロール、トロールド、トロルド、トウラ、トゥローと様々。

一般的には、巨大な体躯、怪力、鼻や耳が大きく見にくいモノとして描かれることが多いようです。

絵本『トロールものがたり』では頭が複数あるトロールが描かれていました。

また北欧の国々によってもその姿や伝承が違っています。

ノルウェーでは白く長いあごひげのある老人として、赤い帽子、川のエプロン姿で描かれるようです。

スカンジナビア半島では小人の妖精、アイスランドでは邪悪な巨人、フィンランドでは池に棲む邪悪なシェートロールなどその姿は千差万別です。

日本でいうところの妖怪に近いように思えますが、やはり国が違うのでイメージも異なります。

ですがちょっとおそろしいけれど憎めない、そんなところは似ている…

また、正体はわからないけど不思議な生き物を身のまわりにおいたまま、生活に入り込んでいる生きものがいるところは似ていますね。

理屈無しに畏怖できる生きものがいるということは、自分たちが絶対ではないことを自然に理解できるありがたい存在に思えます。

 

色によってかわる「がらがらどん」たち

ノルウェー 山

なんといっても、マーシャ・ブラウンの挿絵の素晴らしい。

小さいやぎ、2番目のやぎ、大きいやぎのそれぞれが魅力的です。

山の草場で太ろうと向かう途中の谷川で、そこにすむトロルと対峙します。

黄金に輝く山に目をやる3びきのやぎたち。

この絵本はカラーで描かれていますが、じつは色は「青、黒、茶、黄、白」5色しか使われていません。

白は紙の色なので4色です。

わずか4色描かれたとは思えないほど表現が豊かです。

 

小さながらがらどんが橋を渡るときは、「青と黒」で描かれ、トロルとのやりとりに緊張感と不安が伝わってきます。

二番めのがらがらどんは「茶と青」、大きな「茶と黒」で描かれるトロルと同じ色です。臆するところがなく対等な印象を絵から受けます。

大きいがらがらどんにいたっては「黒」がいちばん多用されて迫力満点です。トロルに食いかかろうとするときは全身が「青と黒」、異形のモノに変身しているかのようです。

 

場面によって、わずか4色で、同じやぎでもこんなに多彩に描け、その心情を視覚化しています。

最後の草を嬉しそうにたらふく食べる「白」い、やぎたちに安心するのです。

大きな見せ場である大きいやぎのがらがらどんが、トロルに見栄をはるページは何度見ても見事です。

見開きに首から上が大きく描かれ、その角の迫力、髭や毛並みの勢い、鋭い眼差し、大きく開かれた口、これらは子どもたちに迫っていく絵なのでしょう。(私も驚きました!)

「おれだ! おおきいやぎの がらがらどんだ!」

この文字も大きく描かれています。思わず読む声も張り上げてしまいそうになるクライマックスなのです。

 

3びきいる「がらがらどん」は成長する子どもたちそのもの

むかし、三びきの やぎが いました。なまえは、どれも がらがらどん と いいました。

とおはなしは、はじまります。

3びきいるのに名前は同じ…

昔話では固有名詞を持つことが少なく名前は物語のための記号なのです。

(『シナの五にんきょうだい』も一番目のにいさん、二番目のにいさん…でした)

おはなしは、3つパターンでトロルとのやりとりを楽しむことができるようになっています。

 

最初の小さいがらがらどん。

軽やかですが決して弱々しくありません。弱々しそうに見えて、トロルに対峙した時には凛とした眼差しで、しっかり自分の意見をトロルに伝えています。

「ああ どうか たべないでください。ぼくは こんなに ちいさいんだもの」

最初に橋を渡るその姿がとても美しい!

 

2番目のがらがらどんは、頭脳派

トロルを挑発するような風体(あご髭とか)、目が横長(本当のヤギも黒目は横長です!)、トロルを挑発するようなしぐさで、小さいやぎとセリフはほぼ同じなのに全く違う印象を受けます。

 

最後の大きいがらがらどんの迫力たるや

トロルが可愛らしく見えるほどです。

 

 

かたこと かたこと

がたごと がたごと

がたん、 ごとん がたん、ごとん

 

さて、3びきは相談の上で橋を渡ったのでしょうか。

おはなしには描かれていませんが、大きいやぎが先に渡ってトロルをやっつけてしまえばもっと安心なのでは。

それではおはなしになりませんね(笑)

物事には順番があります。成長には時間がかかります。いきなり大きくなることはできませんね。

同じ名前の「がらがらどん」は、成長していく子どもたちそのものなのではないでしょうか。

小さいうちは恐るおそる、少し大きくなれば駆け引きできるようになり、成長のあかつきには恐れることなく対峙していく。

とそんなふうにみることもできるのかも…とこの名作を読んで思います。

 

〆のことばが物語世界を閉じる

 

山でたらふく草を食べて太ったやぎたちはからだがとても重そうです。

描いた最後の場面は、昔話特有の〆方、

チョキン、バチン、ストン。 はなしは おしまい。

この魔法の言葉で、子どもたちはちゃんと物語の世界から現実の世界に戻ってこれる気がします。

 

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海の雄大さを感じる絵本◆『沖釣り漁師のバードダウじいさん』の海は七変化

住んでいるこの町は、海を見るのに1時間以上車を走らせなければなりません。

海の持つ開放感と浪漫、未知への憧れや挑戦を飲み込まれそうな広大さ…

「海好きは詩人」というのが、うなづけます。

ちなみに、「山好きは哲学者」なのだとか。

(「海好き~山好き~」は昔、脚本家倉本聰のドラマのなかの台詞にありました)

海といえば…

  • 海水浴
  • 空が広いところ
  • その先に陸がある
  • 深い
  • 星がよく見えそう
  • 大きい波
  • 生物が棲む
  • 底に沈むもの

想像力貧困な私の発想はこんなものですが、この絵本の作者マックロスキーの想像力たるや痛快なものです。

海の平穏さ、壮大さ、荒々しさ、多様さ、優しさ、美しさ、が楽しく描かれています。

 

沖釣り漁師のバートダウじいさん

~昔ふうの海の物語

ロバート・マックロスキー さく

わたなべ しげお やく

ページ: 59

サイズ: 28.8x23

出版社: 童話館出版

出版年: 1976年

鮮やかな色彩に彩られた物語と海のと空の色の見事な表現を楽しむ

濃いピンク、レモンイエロー、落ち着く緑、優しい青、元気の出る赤、光る白、真っ黒な黒、 色彩の豊かな絵本です。

また舞台となる海の表現がとびきり見事です。

遠くに見える海は穏やかで、

カラフルな舟・潮まかせにぶつかる波は勢いがあって舟に揺られているよう。

くじらが現れる海の荒々しさは大迫力、

嵐に変化していく空と海の色の変化や波の様子が有機的に描かれ、

騒ぎが一段落する海の薄桃色の空と海の色。

海と空の変化を見るだけでも、その多彩さに驚きます。

海の七変化と迫力のストーリー

タイトルどおり「沖釣り漁師」である「バートダウじいさん」は、海へ漁に出かけます。

相棒となるカモメ、海で遭遇するクジラ。

マックロスキーの生き物は、生き生きして表情豊かです。

彼らの表情はとてもユニークで、いまにもしゃべりだしそうです。

もちろんおはなしも飛び切り面白い。

~気まぐれエンジンのついた、潮まかせという名の こいつもふるい両船首の舟だった。 ~潮まかせは バート・ダウじいさんの埃だし喜びだった。

舟への愛着を感じます。

ペンキ塗りの仕事で残ったペンキをもらってきては、潮まかせにぬってやります。

~「あのピンクの外板は、ジニー・プーアさんとこの食器部屋の色だし……、 みどりのは、おいしゃのウォルトン先生の待合室の床と戸の色だ。 黄色は、パスケル船長さんの家のポーチのかざりの色」というわけだった。

細かな設定がリアリティを引き出しています。

仲良しのカモメが「おしゃべりかもめ」、舟が「潮まかせ」、調子の悪いエンジンを「気まぐれエンジン」と、ネーミングが楽しい。

さて、おはなしは、年とったバート・ダウじいさんがひとりで海に出て、なんとクジラのしっぽを引き当ててしまいます。

そうこうするうち、海が荒れてきて、なんとクジラのの中へ避難することに。

クジラの胃のなかの綺麗なこと。

非難したはいいが、今度は出なくてはいけません。

吐き出してもらうために、胃のなかでペンキをぶちまけたり棒でつついたり、クジラにとってはいい迷惑ですね。

「だばーッ!」とくじらばき!潮まかせは、 がっしりした手で かじ棒にぎったじいさんのせて おしゃべりかもめをしたがえ、気まぐれエンジン 全開のまま おっぴらいたくじらの口から チャカチャカバンと とびだした。~

こんな具合に脱出したのはいいけれど、そこはくじらの群れのど真ん中。

くじらたちは最初に釣りあげられて、しっぽにカラフルな”ばんそうこう”を、つけてもらったくじらよろしく、自分たちもばんそうこうをつけてもらいたいと、バート・ダウじいさんに催促します。

満足げに隊列をなしてゆく、くじらたち。

茜色の海の空のもと悠々と帰途につく潮まかせ。

こんな海と空をみてみたい、と思わせる心に残る景色です。

思わず、ヘミングウェイの『老人と海』のよう、と思いました。

海の広さ、くじらの大きさを感じる

この絵本を開いていると、海は広くて深くて、くじらは大きくて、重くて、悠々としているんだなぁ、と思います。

版が大きめ(28.8x23)で見開くとA3よりやや大きめでしょうか。

子どもたちの目にもきっと大きく映ることでしょうね。

時にはアップでくじらの口が描かれ、時にはひいた構図で海の大きさやまわりの状況が、うまく描かれています。

くじらの口の中に避難しようとする舟(バートダウじいさん)の覚悟がみえます。

大きなクジラが、バートダウじいさんにしっぽを釣り上げられたときに、カラフルな絆創膏を貼ってもらいます。

描かれる絵にもかならずしっぽの片隅に絆創膏が描かれていますが、その対比が面白いですね。

巨大なものと小指ほどの大きさのもの。

それをくじらは気に入っているわけです。

最後に隊列をなしてうれしそうに去っていくカラフルなくじらたちの様子に、海の懐の深さを感じました。

『老人と海』を子どもと読む

小学3年生の時息子とこの絵本を読んだ後『老人と海』を勧めてみました。

面白く読んだようで、夏の読書感想文を書いていました。

海という場、人間とそれに対する生きもの(魚)。

これしかない、という状況での人間の生命力や自然を感じることができる作品です。

 

ご訪問ありがとうございます。

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素直な心と目で見ることの大切さ『ロバのおうじ』のやさしい眼差し

桜が散って、しばらくたつと山々に明るく鮮やかな緑色が見えはじめます。

霞かかる春の空に、鮮やかな若緑色が目に飛び込んでくる新緑は、儚くも心躍る季節です。

そんな新緑色の表紙が目を引く絵本が『ロバのおうじ』です。

グリム童話の代表作でもあるこのおはなしは、読むと25分以上かかります。

小学校の朝読書では2日に分けて読んでいました。

5年生、6年生にじっくり読むことが多かったですね。

色のもつイメージから5月、6月に読みたい絵本です。

ロバのおうじ

グリム童話より M.ジーン・クレイグ さいわ

バーバラ・クーニー え

もき かずこ やく

ページ: 48

サイズ: 26x18.4cm

出版社: ぽるぷ出版

出版年: 1979年

王子なのにロバであること、先入観がある時

グリム童話の代表作のひとつ。 おはなしは、

平和な国を治めていた王と王妃がおりました。

子どもがいないことがただひとつの悩みでした。

そこで、魔法使いと取引し、子どもを授かるよう約束したのです。

ですが、おうさまは約束を守らなかったために、魔法使いは怒り生まれた王子をロバの姿にしたのです。

その姿はロバの姿のままでも真に愛してくれる人が現れるまで呪いはとけません。(それをおうさまたちもロバの王子も知りません)

立派な教育を受けて、他の王子とひけをとらない能力を持ち合わせていながら、その姿から両親に愛してもらえないのです。

お城で王子らしく振舞っても

「ロバにしてはね!」

と蔑みの目で見られてしまいます。

ある日、お城にリュート弾きがやってきて、ロバのおうじは弾き方を習います。

終いには先生だったリュート弾きのお墨付きをもらうほど上達したのです。

その腕前をおかあさまやおとうさまに披露しても、なんの関心ももってもらえません。

ひとり自分の姿を鏡に映して、服を脱ぎ捨てリュートをかついでお城を出る決心をするのです。

「ぼくは もう ロバっこのおうじさまでいうのには うんざりだ。~」 「どこかに いってしまおう。ロバっこのおうじさまなんかでいなくても すむ どこか とおいところへ……」

 

旅の風景とロバのおうじ

この絵本でとても好きな場面です。

お城を出たロバの王子はあてどもなくさすらいます。

人にも合わず、声をきくこともなく、それまで中傷の中で暮らしていたロバのおうじには、自然の風の音や川のせせらぎ、新月の輝きがリュートを奏でるエネルギーになったのでしょう。

この場面から新たな展開がはじまります。

 

リュートが上手で博識なロバの人、先入観がない時

長い間の旅の後、リュートの見事な演奏に、あるお城でおひめさまに大層気に入られそこで暮らすことになります。

夢にように過ぎてゆく日々。

新しく出会ったお城のおうさまやおひめさまは、ロバのおうじに対する先入観がありません。

リュートを素晴らしく弾きこなす歌い手の名人、

物知りで博識がある人、

親切で辛抱強い人、

お城で開かれるパーティーでは、ご婦人方にこう噂されます。

「あのかた すてきじゃない? とても ほがらかで」

同じことをしても、先のお城では王子なのにロバの姿なために「ロバにしてはね」といわれます。別のお城では、ただのリュートのうまい博識な人として尊敬を集めるのです。

幸せな時を過ごしていましたが、ある日おひめさまに縁談がある話を耳にします。

お姫様を思って暇乞いするロバの王子は、おひめさまから告白を受けます。

おひめさまは心からロバの王子を思っていました。

「さびしいのは うたが きけなくなることじゃないわ」 ~ 「あなたが いなくなることよ!」 「あなたは みっともなくなんかないわ! あなたの うたと おなじくらい うつくしいわ!」 「でも ぼくは ロバみたいだ!」 「あなたが なんだろうと きにするものですか!あなたが すきなの。あなたに ずっと そばに いてもらいたいの!」

そして、奇跡が起きます。

ロバの王子は人の姿になれたのです。

おひめさまは驚くでもなく、はじめから知っていたといいます。

本質を見る目を持っていたということでしょう。

その後二人は結婚し、何年か後6人の子どもを授かります。

そして どのこにも はいいろの けや ながい みみ しょぼしょぼの けのついた しっぽなんか ありませんでした

とおはなしはしめくくられます。

最後の見開きページには家族でボートに乗った幸せが、みどりの景色と共に描かれています。

 

昔話・童話の身勝手な親

ここで描かれるロバのおうじの親であるおうさまは、財産好きで、おきさきは綺麗なお召し物好き。

子どもを望みますが、金貨をごまかしその結果生まれたロバの姿の自分の子を愛することができません。

こうした成り行きは過剰のように思われますが、存外いつの時代にもあるもののように思われます。もちろんおはなしを作るうえでこうした親である必然性は必要です。 (ロバの姿だけれど愛されました。ではおはなしがつづきませんからね)

愛されないロバのおうじは、自ら愛し愛される存在を求めることはできたのです。

その姿から愛してもらえないことに落胆はしていますが、絶望はしていません。

旅によって新しい自分となり、自分の居場所を自らの特技と性質で探し当てたともいえるでしょう。

グリム童話をはじめとする古今東西の昔話には、生きぬく知恵が描かれているのですね。

絵本になると、切なさが少し緩和されるように思います。

 

透明感のあるクーニーの挿絵

なによりも色が若々しいと感じます。黒や濃い緑も軽いのです。

王子のときに着ていた爽やかな青い服の姿もお似合いです。

ロバのおうじの優しい眼差しは最初から最後まで変わることがありません。

描かれるロバのおうじの表情にも、ちゃんと人としての表情も読み取れます。

おひめさまとロバのおうじが庭の木の下でリュートを奏でている場面が大好きです。

庭の木々や花々、鳥や庭師もなんて楽しそう。

おひめさまは本当に優しそうに描かれています。

この人ならロバのおうじの本質を見抜いていたとしても全く不思議ではない、そんな風にちゃんと見えます。

本質を見抜く目を持ったおひめさまの凛とした姿や確固たる意志が見事に描かれていて敬服します。

絵本で「きちんとそう見える」のはとても大切なことですね。おはなしを聞きながら子どもたちは絵の隅々までみていますから。

クーニーさんの端正な品格のある絵に、ロバの王子のプライドがみえます。

柔らかで透明感ある色彩が目と心に優しい、そして若い緑色が平和を感じさせるラストシーンになっていると思います。

 

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舟に乗りたくなる『ガンピーさんのふなあそび』は非日常を楽しむ

舟に乗りたいなぁ、とこの絵本を読んで思いました。

この絵本に登場するような船頭さんがいるふねに乗ったことがあったっけ…

最後に舟に乗ったのはいつだったかしら…

子どもの頃にふねに乗ったことはあったかなぁ…

そんなことをふと考えてしまいました。

陽ざしが強くなる5月あたりから小学校の読み聞かせでよく読みました。

水の風景がある絵本は涼しさや心地よさを感じるように思います。

 

ガンピーさんのふなあそび

ジョン・バーニンガム さく

みつよし なつや やく

ページ: 34

サイズ: 25.4x25.4cm

出版社: 福音館書店

出版年: 1976年

 

みんなが乗せてとやってくる、舟に乗る楽しみは

 

これは ガンピーさんです。

おはなしの最初のページにはガンピーさんがこちらを向いて立っています。

右手にはじょうろ、黄色のジャケットと帽子をかぶり、青いズボン、長靴をはいています。

ガンピーさんの左右に芝のひかれた庭が広がっています。その奥に赤い家がみえます。

ページをめくると

ガンピーさんは ふねを いっそう もっていました。 いえは かわの そばに ありました。

と続きます。

そして、ある日ガンピーさんは小舟にのって出かけます。

途中で、子どもたち(男の子と女の子)、うさぎ、ねこ、いぬ、ぶた、ひつじ、にわとり、こうし、やぎ、が次々に「乗せてください」と乗り込んできました。

そのたび、ガンピーさんは言います。

子どもたちには「けんかさえ しなけりゃね」 うさぎには「いいとも。とんだり はねたり しなけりゃね」 ねこには「うさぎを おいまわしたり しなけりゃね」 いぬには「ねこを いじめたり しなけりゃね」 ぶたには「うろちょろするんじゃないよ」 ひつじには「めいめい なくんじゃないよ」 にわとりには「はねを ぱたぱた やるんじゃないよ」 こうしには「どしんどしん あるきまわるんじゃないよ」 やぎには「けったりするんじゃないよ」

それぞれに、舟に乗るための禁止事項を提示して舟に乗せるのです。

小さな小舟に乗り込んだ子どもたちと動物たちは、ガンピーさんが船頭する舟に揺られて、とても楽しそうです。

女の子は川面に手をつけて水の流れを楽しみ、明るい陽ざしが照り付けています。

舟は乗るだけでとても楽しい乗り物です。

いつもとは違う目線が持てますね。

遠くから見る川とは違う、流れを間近に見ることができる体感できる川です。

早さもきっと違います。

歩くでもなく走るでもなく、ガタガタするでもなく。

滑らかですべるように過ぎる自分と風景を感じることができますね。

舟に乗る、ことはどこか日常から離れることができる場、であるように思われます。

大勢が乗り込んだ舟という場は

おはなしの続きです。

しばらくは川を下っていきましたが、そのうち

やぎがけとばし、 こうしが としんどしん あるきまわり にわとりたちが はねを ぱたぱた やり ひつじが めいめい いい、 ぶたが うろちょろし、 いぬが ねこを いじめ、 ねこが うさぎを おいかけ、 うさぎが ぴょんぴょん とびまわり、 こどもたちが けんかをし

結果、舟はひっくり返ってみんな川の中に落ちてしまいます。

みんな岸まで泳ぎ着いて、おひさまで身体をかわかし、野原を歩いて、ガンピーさんの家に行き、みんなでお茶の時間を過ごします。

そして月のでる夜、

「じゃ、さようなら」と、ガンピーさんは いいました。 「また いつか のりにおいでよ」

おはなしはこれで終わります。

舟に乗り込んだ子どもたちと動物たちはしばらくは楽しそうで平穏でした。

ですが、なにが原因というわけでなくそれぞれが「やってはいけないこと」をやりだすのです。

ですが、考えてみれば当たり前のことでもあります。

ヒツジはメイメイいうものだし、ウサギはピョンピョンはねるもの。

もちろん舟といういつもとは違う場だからこそ、ガンピーさんは注意したのでしょう。

けれど長続きはしない、ということをガンピーさんはわかっていたようにも思います。

しばしの舟の楽しみをみんなで味わえれば、舟はひっくり返ってもよかったのでしょう。

だからこそ、「また いつか のりにおいでよ」と。

いつもと同じは安心できます。ですがたまには違ったこともしてみたいものです。(そうしてみんな乗り込んだ舟です) 見えるものも変わって、なんだか新鮮に思えるものです。

舟がひっくり返って、それもおしまいです。舟に乗るためにちょっとムリしていましたからね。でも舟の楽しさは存分に味わえた子どもたちと動物たちです。

やさしい絵と穏やかな表情

この絵本には、小舟を操るガンピーさんと男の子と女の子、そして動物たちがたくさん登場します。

それぞれの登場シーンには1ページに、どーんと、生き生きとした姿が描かれています。

ジョン・バーニンガムの絵は線も色も儚い。

どこか夢の景色のようでもあります。

動物たちの表情はユーモラスで、彼独特の絵、という気がします。

描かれる人や動物は楽し気ではあるけれど笑っているわけではなく、微笑んでいるというより口角が上がっているくらいの表情なのです。

過剰さが描かれることがない絵本で、それは船頭であるガンピーさんもです。

クライマックスで舟はひっくりかえりますが、でも、なんだかみんな慌てていないのです。

なんだかみんな、落ち着いて川に落ちています、人も動物たちも。

舟がひっくり返るところと、お茶をしているところは見開きで描かれています。

なんとも落ち着いたクライマックスです。

ガンピーさんの役割は? 落ち着いた大人がいること

ガンピーさんという落ち着いた大人がいることで、成立している舟ねあそび、なのです。

川に落ちるまで十分みんな楽しい時間を過ごしていました。でも大勢集まればドタバタはつきもの。

大丈夫だよ、とガンピーさんの存在が物語っています。

そして舟の上ではガンピーさんが実に大きな姿で描かれています。その存在を示すかのように。

大きな絵本と透明感のある色

大判の絵本で絵も線画細かくひかれて柔らかなタッチ。

線画が黒では、こげ茶色が使われているからでしょうか。

色は中間色が多く使われていて、むしろ大人な雰囲気です。

水彩(だと思うのですが)水辺、叢の緑が透明感があって清清しい。

右ページがカラーで左のページはこげ茶1色で描かれています。

彩色がない絵は線画で銅版画のような細かな短い線で丁寧に描かれています。

石橋をくぐったり、乗り込んで増えていく船の上の様子と舟の下る景色の変化が楽しいです。

こんなふうに舟遊びしてみたい、とやっぱり読むたびに思うのです。

 

ご訪問ありがとうございます。

あなたの絵本選びのきっかけになれば嬉しいです。

『もりのなか』◆柔らかさと畏れを体験できる絵本

エッツの代表作ともいえるこの絵本は、墨一色で描かれた絵本です。

紙の三角帽子をかぶった男の子が森の中を歩いていきます。

裏表紙には「よんであげるなら2才から」とあります。

息子にも2才半のころ読み始めました。

読むたびに色々なことを発見できる絵本です。

登場する動物たちの姿を見るだけでも楽しいです。

かれらを引き連れて先頭を歩く男の子の気持ちになってみてもワクワクします。

そこは「もりのなか」、開かれていながら閉じている世界。

息子はどんな風に楽しんでいたのでしょう。

この頃の子どもは丸ごと受け止める度量があるということです。

穏やかさと少しの怖さをあわせもつ不思議な絵本です。

小学校の朝読書の時間、1年生、2年生によく読みました。

文が簡潔でほどよい分量なので、ゆっくりゆっくり読むことができました。

 

もりのなか

マリー・ホール・エッツ ぶん/え

まさき るりこ やく

ページ: 40

サイズ: 25.7x18.3cm

出版社: 福音館書店

出版年: 1963年

 

墨色の森の中の特別な世界~絵本の構成から受ける印象

モノクロのパステル(?)で描かれている挿絵は、律儀にすべてのページにあります。

横長の絵本で左右に絵が配置され、絵の下に文があります。

文もすべて(当然なのですが)ひらがなで書かれています。

絵のサイズはすべて同じです。

絵本にはいくつかの定型ともいえるパターンがあります。

見開きにした時に、

片側に全面の絵があり、もう片側は文だけの絵本。

モノクロページとカラーページが開くたびに交互にあらわれる絵本。

見開き全体に絵があり文がそえられている絵本。

オールカラーの絵本。

全部モノクロの絵本。

文が多い絵本、文が少ない絵本。

コマ割りのような絵本。

・ ・ ・ 視覚的に絵の量と文の量から、どのような絵本なのか感じことができます。

「もりのなか」は、1ページに決まったサイズに絵が4分の3、文が4分の1で下に1行~3行。

最初から最後まで変わることはありません。

使われている色は紙の色(灰色がかった白)と墨色(ベタの黒ではない)です。

色や絵、全体のサイズから、淡々としたリズムが開いたページ全体から感じられます。

劇的なことは起こらない… それがこの絵本の第一印象でした。

 

もりのなかを行く少年と動物たちの行進の不思議

大きな木の根元に紙の帽子をかぶった少年がラッパを口にして立っています。

ぼくは、かみの ぼうしを かぶり、あたらしい らっぱをもって、

これがおはなしの1ページ目です。

もりへ、 さんぽに でかけました。

少年は森で次々に動物たちと出会います。

ライオン、ゾウ、クマ、カンガルー、コウノトリ、サル、ウサギと次々出会い、長い行列となってもりのなかを行進するのです。

紙を梳かすライオン、セーターに着替えるゾウ、ジャムとピーナッツを抱えるクマ、おなかに赤ちゃんカンガルーを連れてのカンガルーの親子は太鼓を持って、老獪なコウノトリは黙ってあとに続き、よそ行きの服に着替えたサルたち。

動物たちはいろいろと身支度して少年のあとに続きます。どの動物たちも微笑んでいます。

 

洋服や二本足で歩いても不思議と違和感がありません

擬人化され過ぎない動物たちが静かに少年とやりとりをしていると、意思の疎通ははかれるものだと、納得できるのです。

ライオンもクマもゾウもサルもみな、同じような背丈で描かれています

物語世界である記号なのではないでしょうか。

 

最後に出会うウサギだけはちょっと特別

それまでは少年から声をかけることはありませんでしたが、ウサギには少年から声をかけています。

「こわがらなくって いいんだよ」、 ~ 「きたけりゃ、ぼくと ならんで くれば いいよ」

そうして、ウサギは少年のちょっと後ろの横について歩き出します。黒い森を背景に動物たちが微笑みながら行進。

誰かが残したピクニックのあとのテーブルで一休み。ハンカチ落とし、ロンドン橋落ちた、かくれんぼをして遊びます。

かくれんぼでウサギだけがかくれずにじっと座っていました。

「もういいかい!」

といって目をあけると動物たちは1ぴきもいなくなっています

そして少年のおとうさんが探しにきていました。

少年はおとうさんに肩車にのってかえります。

「さようならぁ。みんな まっててね。また こんど さんぽに きたとき、さがすからね!」

という言葉でおはなしはおわります。

 

ウサギだけは実物と同じような大きさで描かれています。

ウサギだけがリアルなのでしょうか。

大きな動物も小さな動物も一様に描かれた世界。

ウサギだけが少年とともにリアルな大きさであることが逆に目を引きます。

ウサギだけが少年にとって特別ななにかであることがわかります。

 

「もりのなか」はどこか

動物たちと粛々と遊ぶページが、最初に読んだ時から不思議でした。

淡々と整列しながら遊ぶ少年と動物たち。

どちらかというと無表情に「遊び」をこなす動物たちと少年

かくれんぼのオニになった少年は気に顔をふせています。

おとうさんが少年をみつけてから森を去ろうとするまで、少年はこちらを向きません。

ずっと後ろ姿です。

つまり動物たちといた時だけ、あるいは最初のひとりでいたときは表情がみえています。

動物たちがいなくなった(消えた)ときから、少年の表情をエッツ(作者)は描いていないのですね。

おとうさんは現実の人です。少年の現実の人なのですが、「もりのなか」ではむしろ動物たちといる時が顔の見える人でした。

夢の中、空想の世界、

といってしまうのは簡単ですが、少年(この絵本の主人公は3歳?)の年頃はそれが混然一体となっている年頃なのだ、と絵本を読んでいて感じました。

「3歳までは夢の中」…そんなふうに子ども時代をたとえたのを読んだことがあります。

まさにこの絵本の少年のよう、それが日常なのです。

もしかしたら、現実と空想の世界のはざまに唯一いられるのが3才なのかもしれませんね。

 

ふと子どもを見ると中空を見て笑って楽しそうにしていたり、

シャボン玉をふきながら、キリなくずっとやりつづけたり、

タンポポの綿毛を飛ばしながら綿毛だらけの中に姿がぼんやりしたり、

ブナ林の森を延々と走り回ったり、

そんな息子の3才の頃を思い出します。

 

できるだけ、その邪魔をしないようにとこの「もりのなか」を読むと思います。

そうした時期はそう長くはないのです。ですがとても大切な時期でもあります。

よりよい空想を持つことができる子どもは自ら問題を解決できる人であり、まわりの人の気持ちをわかる人になれると思うのです。

 

だれもが持つ「もりのなか」

 

深い森の静けさとゆったりとした時間、子どもの漠然とした期待と不安をうまく表現しているように思います。

森の中を歩く未知なる冒険心、共に歩く動物たちは、これからの少年の人生を映すかのようです。

孤独に思われるウサギは少年でしょうか。

かくれんぼで今、に戻った少年は、動物たちに声をかけました。

「まっててね」と。

これから先で合うであろう人たちに声かけているようにも聞こえるのです。

 

マリー・ホール・エッツの代表作「もりのなか」は、 一言でいうなら、静謐。

子どもの頃、小山の鬱蒼とした木々のある神社にいると、不思議な気分になったことを思い出す絵本です。

読むたびに深い思索の迷宮に迷い込む感覚があります。

 

ご訪問ありがとうございます。

絵本選びの参考になれば嬉しいです。

夢をかなえる絵本『栄光への大飛行』ひたすらにひたむきなチャレンジ精神

イギリスとフランスを隔てているドーバー海峡を、 飛行機ではじめて渡った人のおはなしです。

小学校では5年生、6年生によく読みました。

実話だということを読み終わった後に話すと、 「へぇ~」といった風です。

最初の挑戦から6年め、11回目の飛行で成功します。

これからいろんなことにチャレンジしていくであろう 子どもたちに「やってみようね」という思いで読んでいました。

栄光への大飛行

アリス&マーティン・プロヴェンセン 作 今江祥智 訳
ページ: 40 サイズ: 22x26cm 出版社: BL出版 出版年: 2009年(1983年)
 

夢とあこがれと試行錯誤

おはなしは1901年。 絵本で〇〇年と記すのは珍しいことですが、 このおはなしは実話をもとにしているからです。

イギリスとフランスを隔てているドーバー海峡は、 直線距離にしておよそ34キロメートルです。

現代では遠泳のコースとしても語られています。 肉眼でも遠くに見えるそこまでを、まだ開発が始まってまもない時代に 飛行機で渡ったのが絵本の主人公ルイ・ブレリオさんです。

空を飛ぶことへの憧れ、 そして成し遂げるための試行錯誤を描いています。

絵のトーンは渋めで、どちらかといえば表情も大仰ではありません。 ですが、このお話にはとても合っていると感じます。

大人が主人公のせいでしょうか。 端正な絵柄が、本当の話なのだと淡々と語っているようです。

 

飛行機の美しさを絵本で知る

そして、飛行機の美しいこと。 柔らかい色合いといい、木や布の質感、 空を飛んでいる姿を見てみたくなります。

フランスのカンブレエという町に5人の子どもと奥さん、ネコにイヌにオウムと暮らす、ブレリオさん。

みなでドライブに出かけたある日、 空にぽっかり浮かぶ飛行船を目にします。

たった一つの思いだけでむねがいっぱい。   「わたしも 空飛ぶ機械を作るとも。 大きな白い鳥のようなのをね。 みんなでがんばりにがんばって、ツバメのように つーいつーいと飛べるようになるんだ!」  

はじめてちゃんと飛べるヒコーキを作ったのが 6年後の「ブレリオ7号」機。

それまでは少し浮いては壊れ、 数分舞い上がっては壊れ、 原っぱの端まで飛んでは壊れ、 そのたびに、骨は折るくじく、 目の周りはあざだらけ・・・ を繰り返して慣れっこになったブレリオさん。

成功の飛行機に乗り込むのも松葉杖をつきながら乗り込みました。

そして1909年7月25日、

パパの飛行機「ブレリオ11号」は、みごと37分の大飛行を成し遂げるのです。

この絵本の醍醐味は、なんども何度も作られる飛行機の姿の美しいこと!

あー、木と布でつくられた飛行機もあったのか、と思うのです。

悠々と回るプロペラや自転車のような車輪、白い羽のような翼は見ていてわくわくします。

みると後ろと前の見返しには、どんよりとしたイギリスらしい空に小さな飛行機が飛んでいます。 (描かれている飛行機がちゃんと違います。前がブレリオ1号、後ろがブレリオ11号)

空を飛ぶこと、飛行機に憧れる気持ちが伝わってくる絵です。

 

それと、擬音がちょっと変わっていて面白い。

ずびぃん! これはパパの車が荷車にぶつかった時の音です。

クワラン クワラン グワラン グワラン これは白い飛行船がくもの中から現れた時です。

 

実話を語る絵本の魅力

航空界の先駆者であるルイ・ブレリオさんは、 自動車のライトについての発明で身代を築き、 飛行機の開発と製作に注ぎ込みました。

はじめてドーバー海峡を飛行機で越えた人が、 失礼ながら"おじさん"だったことに勇気をもらえました。

 

□憧れるものがあり、そのために行動を起こす □根気よく失敗を恐れない □いくつになっても挑戦できる

 

いつまでの「こうありたい」と絵本を読んで思います。

失敗のたびにパパが口にする時の文がこちらです。

パパにはまたひとつ「勉強になった」。

ちなみに「栄光への大飛行」は復刊してのちの表題です。

最初は「パパの大飛行」。(残念ながら廃刊)

個人的にはこちらの方が好みです。 パパ、が大飛行するなんて、わくわくします。

ひとりのパパとして始まった挑戦でしたからね。 パパが挑戦する姿の側にはいつも家族が描かれています。 ママが子どもたちの手を引いてパパと共にいるのです。

危険な挑戦ですが応援する家族がいたからこそできたのかもしれませんね。 最後のページは無事フランスに降り立ったパパとママ、子どもたちが微笑んでこちらを見ています。

だから「パパの大飛行」だったのです。

 

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拡がる世界を体験する子どもたちが描かれる『げんきなマドレーヌ』

春のイメージカラーは、桜のうすいピンクと黄色。 黄色は菜の花やレンギョウ、ラッパスイセン、 ワーッと咲きほこる姿が印象に残ります。

新学期を迎える子どもたちにも 明るい色は元気のでる色です。

大きな絵本で教室で30名を前に開いても見劣りしない大きさです。

女の子たちの並んで歩く姿の愛らしさは1年生に重なり、 入学する時に読んでほしい絵本です。

子どもたちに読む大人も、 書き込まれたフランスの風景を楽しめますよ。

ルードウィッヒ・ベーメルマンンス 作

瀬田貞二 訳

ページ: 48

サイズ: 30.8x22.8cm

出版社: 福音館書店

出版年: 1972年

色の持つ力が自然と伝わる

背景がカラーページ以外は、いつも黄色、イエローが使われています。

色の力でしょうか、黄色は元気がでる色。 春、いろんな始まりを迎える季節に、タイトルどおり元気をもらえる絵本です。

絵本の舞台はフランス。 一緒に暮らす12人の女の子たちが元気な姿で街中を闊歩していて爽快。 マドレーヌは一番のおちびさんで、 12人の面倒をみてくれるのが、ミス・クラベルです。 不思議にこのふたりのほか、名前が登場しません。 こうすることで、誰もがマドレーヌとしての視線をもてるように思います。

 

拡がっていく世界の元になる場所

気のあう仲間と、食べて、眠って、散歩して、遊んで、励ましあって。 絵本のマドレーヌは何歳でしょう。 親元を離れて暮らしている彼女たちにとって 仲間とミス・クラベル(先生)が世界のすべてです。

子どもたちにとって世界は少しづつ広がっていくものです。 家の中、家の周り、町内、学校のまわり、市内へと。

マドレーヌの話を読んでいると、 仲間と町に出て自らの世界を広げていく様子がよくわかります。

子どもの頃は知らない町や場所に行く場所に、 少しのおそれを感じていたように思います。

なんだか小学1年生をみるように感じてしまいました。

読む時期や環境が変わると、また感じ方も変わるものだと、つくづく思います。

絵画的な絵とアニメーション的な絵

絵本にしては地味なおさえた色彩が使われていますし、 暗い色調で鬱蒼とした感じ。

はじめて読んだときは、絵の巧みさには驚きました。 フランスの名所が描かれているのですが、絵画をみるようです。

ところが、景色を描いた絵の中に、マドレーヌたちをみつけると、 はめ込まれたアニメーションのようにも見え、 不思議とそこがパーッと浮き立つよう。 服のラインが鋭角的で12人の女の子たちが動くと、

場面にスピード感が生まれるようです。 パースの取り方が上手いのでしょうか。
マドレーヌたちの姿はむしろ記号化されたようなかわいらしさです。 ページ構成がカラーの絵画的ページとイエローと線のページで、 ランダムにあらわれることで、読んでいてもリズミカル。

マドレーヌはシリーズになっていますが、 描かれる人物もとてもチャーミングです。 ミス・クラベルはもちろん看護婦さんやおまわりさん。

エッフェル塔、オペラ座、リュクサンブール公園など フランスの名所が美しく描かれており、 マドレーヌシリーズ、みていると、フランスに行きたくなりますね。

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見た目は大切!『どろんこハリー』やさしい人々が暮らす街

見事な毛並み、ぬいぐるみが歩いているかのよう 全身ふわふわもこもこ、見惚れる様な そんな犬を見かけることがありました。 飼い主のことをしっかりみています。 ワタシたちのことも、物凄い目力で見ていましたよ。 なんだか人みたいに思えました。

 

犬を主人公にした絵本はたくさんありますが、 持っているのはさほど多くはありません。

この絵本は、 犬のハリーとその家族である男の子と女の子、おかあさんとおとうさん、 の様子をほほえましく描いたものです。

どろんこハリー

エゴン・マーチセン 作

松岡 享子 訳

ページ: 49

サイズ: 20.6x19cm

出版社: 福音館書店

出版年: 1998年

 

どろんこになる楽しさ

ハリーは、くろいぶちのある しろいいぬです。

こうしてはじまるおはなし。 ブラシをくわえたハリーが勢いよく階段から、 降りてくる姿が絵が描かれています。

お風呂が大嫌いなハリーです。 そのブラシを裏庭に埋めて、外へと抜け出します。

ハリーは街中を奔放に駆けまわります。

道路工事現場では泥だらけに、 鉄道線路の箸の上ですすだらけに、 空き地で他の犬たちと鬼ごっこで土まみれに、 石炭トラックの滑り台でまっくろに、

しまいには、白いぶちのある黒いいぬになって家に戻ってきます。 (黒いぶちのある白い犬だったんですがね)

 

自然とたわむれることは楽しいこと

「どろんこ」になるって子どもでなくても、なんだか楽しいことです。 愛媛や高崎などで「どろんこ祭」があります。 水田で五穀豊穣を願う祭のようですが、大人も楽しそうで、みんな笑顔です。 中途半端はいけません。 思いっきり、がいいですよね。

雨の中のサッカーをしている大人(選手)は どこか楽し気。

大雨の時に傘がなくて、びしょぬれに、 これもちょっと濡れると気持ち悪いけれど びしょぬれなら何だか笑ってしまします。

子どもが4歳くらいの時、 大雨の中、裸足で家の前の道を走り回って それはそれは楽しそうだったことを思い出しました。

いつだったか、 風が吹き荒れる中、濡れ落ち葉を集めるバイトをしたことがありました。 集めてシートでトラックに積み込むというもの。 吹き飛ばされそうな強風の中、なんでこんな時に… と思いながらも、 こんな風に、大風に立ち向かうなんて中々ないな、 なんて心の中でちょっと笑っていました。 どろんこになったり、雨にぬれたり、暴風に立ち向かったり、 カンカン照りの下、汗だくになったり…

自然が相手だと、不思議にいい気分になれるのですね。

 

見た目が違うと気づかない?!

「うらにわに へんないぬが いるよ。 そういえば うちのハリーは、いったい どこへ いったのかしら?」

家の庭に戻ったハリーですが、 見た目が白黒逆転しており、 家の人たちに気づいてもらえません。

ハリーは一生懸命に、 自分がハリーだと気がついてもらおうと 知っている芸当をやってみせます。

すっとんと ちゅうがえり ころりところげて しんだまね。

白いぶちのある黒いハリーは必死です。ですが、

「なんだか ハリーみたいだけど、これは ハリーじゃないよ」

がっかりするハリー。

そしてふと思いついたのです。 急いで埋めたブラシを掘り出し、 それくわえて家の中へ。

二階のお風呂へ一目散に駆け上がると、家族も後を追います。

お風呂に飛び込み、洗って欲しいとアピール、 子どもたちは犬を石けんだらけ、 汚れが魔法のように落ちていきます。

「ママ、パパ!みてよ みてよ! はやくきてよ!」 「ハリーだ! ハリーだ! やっぱりハリーだ!」

元の黒いいぶちのある白い犬に戻り、みんなに気づいてもらうのです。 見た目が逆転して、ハリーは家族に気がついてもらえませんでした。 家族と自分だけが知る”ブラシ”によって 嫌いだったお風呂でもとの自分に戻ることができたのですね。

”見た目”は思ったよりも大事なのかもしれません。 相手が常に目にするのは、その姿だからです。

姿にはその人が現れる、ということでもあります。 それはいつもの暮らしからにじみ出ることだったり、 自ら気を使って整えたりするものです。

過剰になる必要はありませんが、 自然にありのままでいながら自分らしくありたいものですし、 そうしたものが”見た目”になっていくように思います。

このおはなしで、人が見る者に対して 一定のイメージを持って見ていることに気づかされました。 嫌いだったお風呂に入って元に戻らなければ、 ハリーは家族に気づいてもらえなかったかもしれませんね。

 

街の微笑む人たちと描かれたハリー

この絵本はパステルカラーの4色使いです。

  • ちょっと濃い目の灰色(薄い黒)
  • 薄いみかん色
  • くすんだ緑色
  • 肌色

ハリーは黒くなっていきますが、 ベタな黒ではないので、画面が暗くなる感じはありません。

線もふと目でかすれています。 色も線も柔らかさを感じます。

ハリーが街を巡って黒い犬になっていく中で ハリーを見ている町の人々も皆、優し気です。

そして、ほとんどの人が微笑んでいます。 だからなのでしょうか、 見ているだけで優しい気持ちになれる絵本です。

表と裏表紙には白いぶちのハリーと黒いぶちのハリーが 向かい合わせに描かれています。

あなたはどっちのハリーがお好きですか。

 

匿名性が自分を投影する場になる

この絵本の登場人物に名前はありません。 あくまでハリー目線ということでしょうか。 また絵本では、「おかあさん、おとうさん、ママ、パパ」という順で書かれています。 日本とは逆なんですよね。

さいごのページには、

じぶんのうちって なんて いいんでしょう。 ほんとに すてきな きもちです。ばんごはんが すむと、 ハリーは、おきにいりのばしょで ぐっすり ねむりました。

心から安心して安らげる場所のある幸福が描かれています。

 

ご訪問ありがとうございます。 絵本選びのきっかけになればうれしいです。