深読み!海外名作絵本100

発表から25歳年以上読み継がれている”これだけは読んでおきたい”海外の名作絵本の数々。 読み聞かせ歴15年、のべ9000名をこえる子どもたちに絵本を読んできました

仲間ができたら読みたい『さるのオズワルド』は声をあげる勇気がでる絵本

ここに登場するのはサルたちです。 小さいサルが数匹、大きなサルが一匹。

カラフルな線で描かれたおはなしです。

小学校では1年生から3年生くらいまで、 よく読みました。

文章に特長があって、子どもたちはマネしあったりしていました。

さるのオズワルド

 
エゴン・マーチセン 作
松岡 享子 訳
ページ: 49
サイズ: 20.6x19cm
出版社: 福音館書店
出版年: 1998年(1947年)

 

この絵本の特徴は、"おっと まちがい"
必ず見開きの左の文中に、この文が登場します。

 

1語の時間で考えることは

はじまりは、
あるところに、いっぴきの ちっちゃな つるが いて
おっと まちがいさるが いて
といった具合なのです。 この”おっとまちがい”は最初の文が必ず間違えたものになっていて
それを訂正してはじまるのです。
どのページをめくってもそうなっており、最終頁まで続くのです。

 

なぜなんでしょうね~?

 

間違えたって大丈夫、ってことでしょうか。

 

新しい場面になるたびに繰り返される、この言葉は
予定調和になって、
聞いている子どもたちも
 
おはなしの中程過ぎてからは、
「きっと次も間違えるぞ!」
いう期待感を持つことでしょう。
絵を見ながら聞いている子どもたちは
”おっとまちがい”の部分を、
 何かな? 
”おっとまちがい”の間に考えていることでしょう。
絵の中にそのヒントがありますからね。

 

ですからページが進むにつれて、
絵をよ~くみるようになっていくんでしょう。
ふってきて ⇒ やってきて
しりとりするとき ⇒ のみとりするとき
おっこったか ⇒ おこったか
とまらない ⇒ つまらない
みあげて ⇒ みおろして
似たような言葉ですから、ちょっとした連想ゲームのようにもなっています。
言葉のバリエーション、1文字違うと違った意味になる
そんなことにも気づきます。

 

子どもたちは、”そんな言いまつがい
おっとまちがい言いまちがえ が大好きですからね。
(笑)

 

声をあげるタイミングはいつ

リンゴが大好きなオズワルド。
仲間と楽しく過ごしていたのですが、
そこへ身体も大きないばりやの ボスザルがやってきて
オズワルドたちにあれこれ命令します。
大好きなリンゴも食べさせなければならなかったりと、
仲間たちと散々な目にあいます。
あるとき、オズワルドは叫ぶのです。
 
「いやだ!」
 
びっくりするほど大きな声で。
すると、ほかのさるたちも、大声で叫び出しました。
 
いばりやのオオザルは、火のように怒りますが、
身軽なさるたちは細い枝の木に登ります。
でっかいいばりやは登ることができず、手持ち無沙汰。
 
そして、木の上のさるたちに呼びかけるのです。
「もう これからは、じぶんで のみを とる。
じぶんで たべるものをさがす。
ねるときも、じぶんでねる。
だから みんな、おりてきてくれよう」
これを聞いてさるたちは、
「あいよ、まがった」ー
おっと まちがい「いいよ、わかった
みんあで好きなことをして遊びます。
 
最後に夢に見ていた、大きなリンゴをもらったオズワルド、
それは、真っ先に大きな声をあげたから。
だって、いばりやが いばるのを やめて、
いいさるに なったのは、
オズワルドの おかげだったから。
とおはなしは終ります。
みんなが思っていることだけど、
最初に声を上げるにはちょっと勇気がいります。
でもその一声がまわりにも伝わるんですね。
 

絵本における芸術的な質

作者のエゴン・マチーセンはデンマークの絵本作家で画家。
絵本の著者紹介には、
絵本に関して、常に画家の目で見た「芸術的な質」を大切にし、
また
「(本が)子どもに真実として受け取られるためには、
(本の)全体が作者にとって深い真実でなければならない」
 
「青い目のこねこ」も彼の作です。
絵は同様に手書きに線がやわらかく、色彩は明快。
この『さるおオズワルド』のいばりやも嫌なサルにはみえません。
ちゃんと謝りましたしね。

 

聞き手と読み手と想像力

そもそも絵本の絵は、文章の一部を描いたものです。
読み聞かせの時は、文を聞きながら
描かれた絵の前後を、子どもたちそれぞれが想像しながら
おはなしをつないでいるといえますね。
 
子どもたちが自由に考える前後を、
読み手側は淡々と丁寧に読むことを心がけたいと思います。
 
想像の翼を広げている子どもたちの邪魔にならないように、
と思いながら。
 
ご訪問ありがとうございます。
絵本選びのきっかけになればうれしいです。

 

冬と雪の絵本『はたらきもののじょせつしゃ けいてぃー』働くことはどういうことか

冬になると決まって読む絵本がありました。

鮮やかな緑のがかった水色と ピンクのひらがなでタイトル「けいてぃー」とかかれた絵本です。

 

表紙には電信柱がたくさん描かれ それが青に縁どられた額縁のようになっていて 真っ白な背景に真っ赤な除雪車が描いてあります。

 

主人公のけいてぃーです。

 

小学校の3年生くらいまでの子どもたちに よく読みました。

 

ここは雪国。

 

除雪車は見慣れたものですが、 絵本の除雪車のチャーミングなこと!!

 

その活躍とともに、笑顔になれる絵本です。

 

はたらきもののじょせつしゃ けいてぃー

 

バージニア・リー・バートン 文/絵 いしいももこ 訳

ページ: 40ページ

サイズ: 24.6x22.6

出版社: 福音館書店

出版年: 1978年  

 バートンさんの遊び心

作者のバートンさんは「せいめいのれきし」や「ちいさいおうち」、 「いたずらきかんしゃちゅうちゅう」など描いたアメリカを代表する絵本作家です。
この絵本にはちょっとした仕掛けがあります。
 
ページを2枚めくると
けいてぃー、
「ちいさなおうち」のおうち、
「名馬キャリコ」のキャリコ、
「マイクマリガンとスチームショベル」のショベルカー、
「いたずらきかんしゃちゅうちゅう」のちゅうちゅう、
が描かれています。
 
すべてバートンさんが手がけた絵本ですが、 彼女の遊び心が垣間見えますね。
 
そのおはなしの構成力、絵のデザイン性、場面の使い方など どれをとっても、ため息がでるほど素敵です。
とくにこの「けいてぃー」は、とても色鮮やかです。
灰色に包まれる雪国に暮らす子どもたちには 明るい雪の表現が、目に新しく映るのではないかしら、 と読むたびに思いました。

 

擬人化された除雪車の活躍ぶりを描く

絵をみてワクワクできるっていいですよね。
真っ赤なけいてぃーの機能が 冒頭からきちんと解説されます。
 
けいてぃーは、きゃたぴらの ついている、あかい りっぱな とらくたーです。とても つよくて、 おおきくて、いろいろな しごとが できました。
けいてぃーには、いろいろな ぶぶんひんが ついていました。ぶるとーざーを つけると、 つちを おしていくことが できました。
 
じょせつきを つける、ゆきを かきのけることが できました。
 
じょせつきの前をかき分ける部品が ハート型で愛らしいけいてぃーです。 (目~ライト~もついているんですよ)
 
けいてぃーのいるじぇおぽりすという町が見開きで 詳細に俯瞰図で描かれており、施設も事細かに記されています。
 

ある日、大雪になって町は雪に埋もれて機能マヒ状態になります。
すべてのものが動けなくなって、
だれもかれも、なにもかも、じっとしていなければなりませんでした。
 
このことばの後に
けいてぃーは うごいていました。
 
真っ白な雪の中を、真っ赤なけいてぃーが勢いよく走り回ります。
 
埋もれた町を縦横無尽に走り回るけいてぃーのっカッコいいこと!!
 
「たのみます!」
「よろしい。わたしに ついて いらっしゃい」
 
次から次へと町中を走り回り、町は機能を取り戻すのです。
 
そして、全部仕事を済ませて、 家(じぇおぽりす どうろ かんりぶ)へかえります。
 
自分の仕事を淡々とする、
自分のできることを全力でする、
いつもと同じように仕事をする、
町を大雪からひとりで救ったけいてぃーですが、 それは当たり前のこと、といった様子なのです。
 
さすがに途中、けいてぃーの疲れた様子も描かれています。
 
すこし くたびれていました。けれども しごとを とちゅうで やめたりなんか、けっしてしません・・・・・ やめるもんですか。
 
ん~強い意志!!
 

雪国に景色を極彩色に変える

見返しに吹雪の中をけいてぃーが進む姿が描かれています。
 
水色のバックに白い大小の雪が吹雪く、 この雪の表現を見た時は驚嘆しました。
 
雪の背景にこの色を使うセンス。
この色で、一気に雪の世界は心躍るものとなるのです。
 
最初のけいてぃーの説明が描かれている場面は、 バートンさんお得意の額縁仕立て(とでもいうのでしょうか)で けいてぃーの所属する道路管理部の仲間たち(重機やトラック)が 小さな絵がひとつひとつに丁寧に楽し気に描かれています。
 
その数は26台!!
 
子どもを膝にして、この絵本を読んだなら きっとすべての乗物を指で差しながら 見ることでしょう。
 
同様に、町の施設も30の建物や場所が描かれています。
 
細かく描かれた場所や建物は、ちゃんと大雪の時に けいてぃーが助けに行く場所なのですよ。
 
手書き文字で、けいてぃーの動く音が 「ちゃっ!ちゃっ!ちゃっ!」とあるのが息子のいちばんのお気に入りでした。

 

ご訪問ありがとうございます。

絵本選びのきっかけになれば幸いです。

 

いたずら盛りの子どもに読みたい『ひとまねこざるときいろいぼうし』子どもの好奇心の源は?

さるのじょーじの腕白ぶりが描かれる絵本です。

 

てんやわんやの出来事が次々に 繰り広げられる、このおはなしは シリーズになっていて 小学校でもよく読みました。

 

いたずら心をくすぐるような じょーじの活躍に子どもたちも 胸を好くような面持ちなのでは と思います。

 

「アレアレ? じょーじったらどうするの?」

 

と、ついつい子どもたちは 彼と一緒になって行動しているようでした。

 

ひとまねこざるときいろいぼうし

H・A・レイ 文/絵 光吉夏弥 訳
ページ: 54 サイズ: 20.2x16.2 出版社: 岩波書店 出版年: 1983年

 

じょーじの好奇心は子どもたちの好奇心

これは、さるの じょーじです。 じょーじは、 あふりかに すんでいました。 まいにち、たのしく くらしていましたが、ただ こまったことに、とても しりたがりやで、ひとまねが だいすきでした。
これが、おはなしのはじまりです。
好奇心旺盛なこざるは、 黄色い帽子をかぶったおじさんにつかまってしまいます。

 

小舟で大きな船へ移動するときも、 つかまって悲しいけれど、 それよりもまわりを見渡して 珍しいものが面白くてたまりません。

 

おじさんは優しい人で、 大きな町の動物園に連れて行ってくれるというのです。

 

面倒をおこすんじゃないよ、 はい、おとなしくします

 

の約束も、
こざるにとっては、わけなく忘れてしまうこと。

 

次から次へと騒動を起こします。
船でも、町についておじさんの家でも、
あらまぁ!!
の連続です。

 

けれど困ったことになったその時には、 ちゃんと黄色い帽子のおじさんが来てくれます。
そして、互いにおおよろこびし、
めでたしめでたし。
となるのです。

 

いたずらする子どもの気持ちとは

このじょーじのおはなしはシリーズになっています。

 

こざるが様々な体験(いたずら)をする、 まわりは振り回されて、(少しは)迷惑をこうむる、
けれど、どこかみんな楽しそう。
いたずらがいたずらの連鎖を生む、 とはこのこと、と絵本を読んだときに思ったものです。

 

風船で空に悠々と飛んで行ってしまう、じょーじ。 だれもが、この視点に憧れますね。

 

もちろん実際こんないたずらはできませんし、 やったら大変なことばかりです。
見たもの聞いたものをあれこれ試してみたくなるのが、 子どもです。

 

本当に知りたがり屋で
「なぜ」と「どうして」をくり返すものです。

 

やってみたいことは山ほどあっても、
「だめ」なことが多いもの。

 

そんな子どもたちの代弁者(代行者)がこざるなのでは、 と思うのです。

 

消防自動車を呼んでみたい、とか
風船にぶら下がって空を散歩してみたい、とか
部屋中を石けんで泡だらけにしてみたい、とか
自転車を手放しで乗ってみたい、とか
病気になって入院するってどんなかな、とか

 

せめて、こざるのじょーじには 好きなだけ勝手をしてもらいましょう。

 

子どもが絵本から得る体験は 感情としては本物であり 出来事としては伝聞です。

 

自分なりの理解をもって楽しむことを きちんと子どもたちはしていると、 読み聞かせをしていて感じました。

 

絵本で楽しむ良さ

アニメーションにもなっているようですが、 絵本の世界は、また別の楽しさが味わえますよ。

 

自分のテンポでおはなしを読み進められます。
時にはじっくりと、時にはパラパラと。
場面の隅々までながめて、自分なりのお気に入りを 絵本の中に見つけることができるでしょう。

 

この窓の形がいいな、
自分ならこんないたずらを考えるな、
泡だらけの部屋を作ってみたいな、
自分の世界をゆっくりとつくりあげる助けになりますね

 

ぜひ一緒に楽しんでくださいね。

 

ご訪問ありがとうございます。 絵本選びのきっかけになればうれしいです。

 

『たんじょうび』おくり贈られる気持ちが描かれる

誕生日はいくつになってもうれしいもの。
1年が無事に過ぎた安堵と 次の1年への期待が交錯する日ですね。

 

子どもたちは誕生日がとても楽しみです。

 

まわりの大人たちはみな笑顔で
誕生日、おめでとう!
と嬉しそうですから。

 

この絵本は入学したばかりの1年生によく読みました。
入学おめでとう!
と言われて入学してきた子どもたち。

 

これからの学校での生活が 豊かなものになりますようにと願って読みました。

 

たんじょうび

ハンス・フィッシャー 文/絵
おおつかゆうぞう 訳
ページ: 32
サイズ: 31x23cm
出版社: 福音館書店
出版年: 1965年

誕生日の醍醐味はサプライズ

このおはなしに登場するのは、 リゼットおばあちゃんと そこに暮らす動物たちです。

 

森のそばの野原にある家には、

 

おんどり 1羽 めんどり 6羽 あひる  7羽 うさぎ  8匹 やぎ   1匹

 

がいます。

 

ねこが2匹、マウリとルリ いぬが1匹 ベロ

 

この3匹はおばあちゃんと家の中で 手伝いをしながら暮らしています。
その日はリゼットおばあちゃんの 76歳の誕生日です。

 

動物たちは出かけたおばあちゃんが返ってくるまでに お祝いの準備をしようと大奮闘します。

 

ケーキを焼いたり、ローソク76本を買いに行ったり…
たくさんのチャーミングな動物たちが、 生き生きと描かれています。

 

一生懸命に知恵をしぼって おばあちゃんのために誕生日のお祝いを考えます。

おばあちゃんにびっくりして喜んでほしい! その熱意さがほほえましいのです。

この誕生祝い計画がどうなるのか、 いくつもの驚くことが おばあちゃんを待ち受けています。

 

特に、動物たちが一堂に集まった会食のシーンは圧巻です。
見開きいっぱいに嬉しそうな顔が並びます。

 

うれしさのあまり涙をこぼすリゼットおばあちゃん。

 

次のサプライズは夜の野原の池です。
そして、おばあちゃんが最後に屋根裏でみつけた とびっきりの贈り物とはなんでしょうか。

 

動物たちがおばあちゃんを喜ばせようと 3つのサプライズを用意したのです。

 

躍動感あるフィッシャーの絵、ニワトリの絵が秀逸

フィッシャーはスイス生まれ。 ジュネーブの美術学校に入学し、装飾画や版画を学びます。
そこでパウル・クレーに教えを受けています。
(パウル・クレーは大好きな画家です!!)

 

卒業後は商業デザイナーとして活躍します。
もともと身体が丈夫でなかったため 過労で倒れ療養をかねた生活の中で 娘のために絵本を描き始めました。

 

この絵本もそんな中で描かれたものです。
動物たちが実に生き生きと動き回っています。

 

特にニワトリ(今年の干支ですね)の姿の堂々たるや、 思わず見惚れるほどの立ち姿!

 

うさぎやにわとりが駆け寄る様子、 輪になって話し合っている様子、 めんどりが贈り物に卵を36こ産む様子、 パーティーの支度にてんやわんやの様子、

 

賑やかさと期待感が、 軽やかな細い線と 薄い水彩で所々色づけられた色色によって、 表現されています。

 

ページをめくるタイミングが見事で、 込み入った絵の次には余白たっぷりと 明るい場面から暗い場面へと転換されています。

 

文章の量もほどよく 朝の15分にゆっくり読んで丁度よい絵本です。

 

見開くと60cmを超える絵本なので迫力満点です。
カラフルな色彩と温かなおはなし、 これ以上ない
子どもたちのためのおはなし
です。

 

親の思いをたっぷりと込める

この絵本は、並はずれたフィッシャーのデザインの力も堪能できます。

 

おはなしはもちろんですが、絵の美しさも十分に楽しめる贅沢な1冊です。

 

ほかにも「こねこのぴっち」「ブレーメンのおんがくたい」 いずれも楽しく愛らしい作品ばかりです。

 

フィッシャーが自分の子どもたちのために作った絵本。
そこには親の心情がたっぷりと込められています。

 

”たんじょうび”は、まさにそんな日のための代表といえるでしょう。
仲間の動物たちと贈る思いを共有し、 贈られたおばあちゃんの気持ちを思いやるのです。

 

子どもたちは大きくなることに 期待しながら成長できるのではないでしょうか。

 

ご訪問ありがとうございます。 絵本選びのきっかけになれば幸いです。

 

『ありがたいこってす』見方を変えたら物事は変わるということを知る

まずタイトルが洒落ています。 それだけで読んでみたくなるではありませんか。

 

原書はIT COULD ALWAYS BE WORSE。
日本語の豊かさを感じます。

 

裏表紙に
読んであげるなら4才くらいから
とあるのですが、 小学校では不思議に高学年に読むことが多かった絵本です。

 

基本、絵本の年齢はあくまでも選びやすいための目安です。
このおはなしは、むしろ高学年にもとても面白くうつる絵本です。 朝の読み聞かせでよく読みました。
最後のオチが、いいですよ。

 

ありがたいこってす

マーゴット・ツェマック作
わたなべ しげお 訳
ページ: 32ページ
サイズ: 25.6 x 23cm
出版年: 1994年
出版社: 童話館出版

 

小さな家と感じるのはどんな時

 

おはなしが、とにかく面白い。
主人公が、貧しい不幸な男、ですから。

 

貧乏で大家族の男が、賢者になんとかしてもらおうと アドバイスをもらっては、右往左往する様が コミカルな絵とともにリズミカルに描かれています。
 
むかし、ある村に、まずしい不幸な男が、母親と おかみさんと 6にんのこどもたちと いっしょに、ひとへや しかない 小さな家に すんでいた。

 

このおはなしは、ユダヤの民話からつくられたものです。

 

家の中があんまり狭いので、 男とおかみさんの言い争いは絶えません。

 

子どもたちはうるさく喧嘩ばかりで、 冬になると昼間は寒く、夜は長く、 暮らしはますますみじめになるばかり。

 

そして我慢できなくなった男は、 ラビさま(ユダヤの法律博士・物知り)のところへ 相談に行くのです。
ラビさまは不思議な助言をします。

 

家の中に、鶏たちを入れろ ヤギを入れろ 牛を入れろ

 

驚きながらもその通りにします。
男の小さな家は、以前よりひどい状態になるばかり。

 

そんなてんやわんやの様子が 柔らかい筆で描かれています。
いよいよ、小さな家はどうにもこうにもならない有様です。
そして、最後にラビさまがいったことは、
どうぶつたちを そとにだしなされ
だしますとも だしますとも たったいま
そして、男がラビさまに最後にいう言葉。
 
家の中にはかぞくがいるだけで、 しずかで ゆったりで 平和なもんでさあ……ありがたいこってす!

 

柔らかい絵とてんやわんやの家のようす

マーゴット・ツェマックの絵が、 こっけいで生活感あふれる人々を描きだし、 このお話の雰囲気を、とてもよく伝えています。

 

茶をベースとした水彩のタッチで 動物たちが生き生きとえがかれています。

 

部屋につるさてた洗濯物や パンを焼いたり、髪を梳いたりする 生活が描かれています。

 

次々に家の中に増える動物たちの大きさと 混乱具合が、ページをまたいで勢いよく伝わってきます。

 

牛やヤギ、ひな鳥、ガチョウのとりたちの
大きさがきちんと描かれています。
大慌ての住人たちもどこかのほほんとして印象で 最たるものが、ラビさまに相談している哀れな男です。

 

小さな家を小さいと感じない理由とは

 

どんどん混乱していく男の家の中が、一気に静まり、

 

ありがたいこってす

 

と男のセリフで終わります。

 

さて、男は目の前の状況だけを見ていました。 過去を見ることも、先を見ることもしていません。
今、目の前の状況を何とかしたい一心のようにもみえます。
困って、相談して、言うとおりにやってみて 今より少し前より今がよくなった

 

ありがたいこってす
こんなことも人生にはあるんだよ、
と囁かれているような気分になるおはなしです。

 

絵本を読んでいると、 子どもたちは、あれあれどうするの?  といった面持ちです。

 

最後に満足げにしている男のことをどう感じるのでしょうか。
それぞれがそれぞれに考えることが楽しいおはなしですね。

 

ご訪問ありがとうございます。 絵本選びのきっかけになれば嬉しいです。

 

『ぞうのババール』なに不自由ないことが自由なのではない

鮮やかな朱色が目をひく絵本です。
ぞうが不思議ないで立ちで立っています。

 

動物が主人公のおはなしは、 子どもたちも大好きです。
小学校の読み聞かせでは 3年生4年生によく読みました。

 

おはなしが少し長いので 朝の15分ではギリギリ、 ちょっと時間を過ぎることもありました。

 

ぞう、という人とはかけ離れた動物が 人間のようにふるまう姿に 驚きと笑いをさそう、絵本です。

 

ぞうのババール

 

ジャン・ド・ブリュノフ 作
やがわ すみこ 訳
ページ: 48ページ サイズ: 26.8x20cm 出版社:評論社 出版年: 1974年

 

森から町へ、舞台が変わるとぞうも変わる?

大きなもりの くにで ちいさな ぞうが うまれた、 なまえは ババール。

 

ある日おかあさんといる時に、
おかあさんは狩人にやられてしまいます。
びっくりしたババールは一目散に逃げます。

 

そして、人間の町にやってきました。
そこは森とは大違いで、 何もかもが目新しく驚くことばかりです。

 

ババールは道ばたで出会ったおばあさんに 財布をもらい、 デパートに行き、 エレベーターに乗って、 洋服を仕立てます。
そして帽子に靴に記念写真。

 

絵本のよいところは、 違和感だらけなのに、何の断りもなく おはなしが進むところです。

 

ぞうとおばあさんの暮らし

ババールは財布をくれたおばあさんの家によばれます。 そして、一緒に暮らすようになるのです。

 

欲しいものはなんでも買ってくれるおばあさん。
何不自由なくても時折、森の生活が懐かしくなるババール。

 

2年経ったある日、 いとこのぞうと町で出会います。
そのいとこを探しに来た、ぞうたちと共に 森に変えることを決心するババールです。

 

そして、ババールはみんなに請われて王様になります。
人間の世界にいたババールは、
物知りだという理由です。

 

ぞうの世界と人間の世界

ひょんなことから、 ぞうの国から人間の町へきたババール。
絵本の中で異邦人的な存在でしたが 理解者~おばあさん~の助けもあって 次第に大人になっていく過程が描かれてのだと思います。

 

洋服の着こなし、歩き方、立ち居振る舞い。
どのページをめくっても 洒落たぞうのババールの姿が描かれています。

 

改めてぞうはどの方向から見ても存在感が抜群ということ。
全面の鼻、後姿のおしりとしっぽ、 横からみればもったりしたおなか、 見ているだけで楽しくなります。

 

おかあさんを目の前で亡くしたババールは可哀想なゾウといえます。
だからこそ、
人間の世界でなに不自由なく暮らすことが
できたのでしょう。

 

不幸は続かないし、
幸福もまた、続かない。

 

そんなことを、この絵本は脇道で語っているように思うのです。

 

重たいぞうなのに軽やかに見えるしかけ

とても洒落た絵本です。
パステル調でムラのあるの色使い、 細くて揺らいだ線。

 

陸上で一番重いはずのぞうババールが 軽々として見えます。

 

登場する人間や動物たちもなんだか ふわふわゆらゆら・・・
それがこの絵本の軽やかさでしょうか。

 

ご訪問ありがとうございます。 絵本選びのきっかけになればうれしいです。

 

想像する力『まどのそとのそのまたむこう』窓の向こうに広がる世界

この絵本は絵といい、おはなしといい とても不思議な絵本です。

 

描いたのは
「かいじゅうたちのいるところ」
「まよなかのだいどころ」
のモーリス・センダックです。

 

「まどのそとのそのまたむこう」と合わせて
センダックの3部作といわれます。

 

この絵本の面白さは読むほどに深まる、
というのが15年間、読み聞かせをしてきた実感です。
小学校でも1年生、2年生、3年生に読みました。

 

文章は少ないので
大きな場面をじっくりみせながら
ゆっくりと読みました。

 

読み終えると、子どもたちは、キョトンとした様子で、 でもすぐにその世界をすっーと、通り過ぎていきます。
ちょっと長めですが、読み解いてみました。

  まどのそとのそのまたむこう

 
モーリス・センダック 作・絵
わき あきこ 訳
ページ: 40ページ サイズ: 26.2 x 23 cm 出版社: 福音館書店 出版年: 1983年
 
とても少女と思えない女の子と赤ちゃんが表紙です。
さあ、おはなしの世界へ。
 

窓のむこうへ

最初の中表紙には姉妹が横向きで、 女の子は、赤ちゃんの手を後ろから支えて 歩かせている様子が描かれ二人の目線は下を向いています。
 
灰色のマントを着た赤ん坊くらいの背丈の顔の見えないゴブリン座り込み、 庭に咲くひまわりとともに描かれています。
見開きの中表紙には赤ちゃんを抱いた女の子が、 しっかりとこちらに視線を向けて立っています。
そのまわりにはやはり四人のゴブリン。
 
ホルンやはしごを持っているゴブリンもいて、 女の子のほうを覗っているようです。
またページをめくるとやはり姉妹と ゴブリンがページの右下半分に描かれ、 後姿のゴブリンの向こうに赤ちゃんを抱く 女の子が背中を見せています。
 
ほとんどの絵本は、 表紙をめくると中表紙があってお話に入っています。
この絵本はお話に入るまでに絵が3枚も描かれており、 最後の背中を見せた二人は 次のページへの案内をしているようにも見えます。
 
「こちらですよ」と。
 パパは うみへ おでかけ。 ママは おにわの あずまや。 アイダは あかちゃんの おもり。
 
こうしてお話ははじまります。
 
アイダは、魔法のホルンを赤ちゃんに吹いてあげますが、 目を離したすきにゴブリンたちがやってきて、 氷の人形を変わりに置いて、赤ちゃんをさらっていきます。
アイダは気がついて赤ちゃんを取り戻しにいくのです。
 
いでたちはママの黄色いコートに身を包み、 ホルンをポケットにつっこんで、後ろ向きになって 「まどのそとの そのまたむこう」へ出ていきました。
 
赤ちゃんをお嫁さんにしようとする ゴブリンたちの結婚式に乗り込み、 無事赤ちゃんを見つけ助け出し戻ってくる、という筋書きです。
 
とにかく不思議なお話。
わけがわからないことばかりだし わからなくても少しも構わないのです。
けれどなぜか忘れられない一冊です。
 
以下は、よく読んで見た 私の『まどのそとのそのまたむこう』なのです。
 
登場人物も赤ちゃんとその姉のアイダ、 ふたりのママ、船乗りのパパ、 そしてゴブリン(邪悪な精霊・妖精、小人)たちだけです。
 

「まどのそとのそのまたむこう」の景色

 
『 パパは うみへ おでかけ。 』
こちらをまっすぐ顔を向けた赤ちゃん(アイダに抱かれている)。
ママとアイダは海辺に立って帆船を見ています。
ゴブリンも陸におかれた小さな帆船に座って海のほうをむいています。
 
庭から海が見えるので家は海のすぐそばにあって、 だからアイダは裸足のままなのでしょうか。
見える景色は、雲間から筋状に青空が少し見えるだけで、 薄茶色の雲と黄土色の空。切り立った鋭く大きな岩山。
海に浮かぶ帆船は四隻。その海の色も空と同じく、波は静か。
 
アイダの立っている場所もごつごつとしたおおきな石が転がっている岩場。
色のトーンはこの作品ならではのくすんだ色で統一されていますが、 それにしても空と海の色はこの世のものと思えない感じを受けます。
 
アイダの足元の海だけは青い海が見えます。
あちらとこちら、あちらを見つめるアイダとママ。
こちらを見ているのは赤ちゃんです。
 
『 ママは おにわの あずまや。 』
場面は一転、庭のあずまや。
右からアイダに抱っこされた赤ちゃん、 ママはあずまやのベンチに腰掛け、 アイダほどもある大きな犬(シェパード?)がおとなしくおすわりし、 左の隅にゴブリン二人がはしごを持って描かれ、 すべての顔が左の方向に向いています。
 
目を細め大きく口をあけた赤ちゃん(泣いている?)を抱っこしている側で 、無表情で遠くを伏し目がちに見ているママ。
アイダは芝生に落ちている赤ちゃんの黄色い帽子を見ていて、 犬は悠々として見えます。左側に木立が続き小道が奥へ消えています。
轍も見えるので外へと続く道でしょうか。庭の低めの石垣の真ん中あたりに木戸があり、 向こうに木々と海が見えます。帆船も一隻。
木戸を降りると先の海辺に行くことができそうです。
赤ちゃん以外が無表情で無機質な印象を受けるこの場面は、 時が止まったように見えてしまうのです。
 
はしごを持ったゴブリンは、 次のページへと足を進めます。
 

家の中の出来事

 
『 アイダは あかちゃんの おもり。 まほうの ホルンを ふいてあげよう。 だけど、あかちゃんを みないでいたら、 』
 
場面は家の中へ移ります。 部屋には窓がふたつ。
左の窓には薄手の白いカーテンがかかっており、 正面に見える窓にはカーテンはなく、 窓の下半分には青い木戸がついている珍しい仕様。
 
カーテンの窓の外にはひまわりが勢いよく咲いています。
このひまわりですが、一本一本がうねっていて生命力にあふれています。
 
画家のゴッホが描いたひまわりに似ている印象を受けました。
 
あかちゃんのほうを見ないで、 ひまわりの方をむいてホルンを吹くアイダ。
赤ちゃんは、小さなベッドに座りアイダを見つめていて、 もうひとつの窓からはしごをかけたゴブリン二人が中に入ろうとしています。
 
『 ゴブリンたちが やってきました。 おへやにはいった ゴブリンたちは、 こおりの にんぎょうを かわりにおいて あかちゃんを かかえて でていきました。 』
 
ベッドには青白い氷人形の赤ちゃんが黄色い帽子をかぶって座っており、 木戸の窓から今しもさらわれていく赤ちゃんが、 ゴブリンに抱かれて窓を超えようとしているところです。
赤ちゃんはアイダを見て叫んでいる様子。
 
アイダはホルンを吹いています。
氷人形がとても不気味。
そもそもゴブリンはなぜ氷人形を置いていったのでしょう。
 
『 アイダは なんにもしらずに にんぎょうをだきしめ、「だいすきよ」と、 ささやきました。 』
 
アイダが部屋にひとり残ってから部屋の様相は激しく変化していきます。
カーテンの窓のひまわりの花は、一輪、四輪と増えていき、 このページでは五輪も描かれており、だんだん部屋に前かがみになっています。
 
まるでひまわりが(アイダ、それはあなたの赤ちゃんではないよ、とささやいているよう) 氷の赤ちゃんを抱きしめるアイダ。
ゴブリンが去った木戸の窓には、 少し波が立った海が見え大きな帆船が一隻浮かんでいます。
 
この赤ちゃんを抱きしめて以降、 窓の外へゆくまでの展開は芝居じみて、好きな場面です。
 
『 ところが こおりは ぽたぽた とけだし、 アイダは きがついて かんかんに おこりました。 』
 
カーテンの窓の下、氷の赤ちゃんは 顔半分から溶け出して水たまりに浮かんでいて怖い。
アイダは足を踏み鳴らして怒り、 解けた氷の人形をにらみつけています。
 
窓のひまわりはだんだん中へ ひまわり以外の花も二輪あり九輪の花がアイダに (それはこおりだったんだよ、と)いってるようです。
木戸の窓の外は否妻が光、海は波立ち、帆船は沈没しています。
窓の外の世界はアイダの心情と同調しているかのよう。
 
『 「ゴブリンたちが ぬすんだんだわ! およめさんにしようと おもってるのね!」 さあ いそがなくてはなりません。 』
 
アイダは両手のこぶしを振りあげ左足を一歩踏み出し力強く宣言するのです。
ひまわりたちも(そうだ、がんばれ!)といった様相。
人形は解けて水たまりに、帽子だけが落ちています。
 
木戸の窓の外は、藍色の空に厚い鉛色の雲、 波はおさまっているよう見えます。
 

窓の外の世界へ

 
『 アイダは ママの きいろいレインコートに くるまり、 ホルンを おちないように ポケットに つっこみました。ところが そのあとが しっぱいでした。 』
 
全身を黄色いレインコートで覆われたアイダ。
ホルンも黄色(金色)。とても目立ちます。
黄色のひまわりがしっかりね、とばかりに声をかけて。
そして、また海は荒れ狂い、厚い雲が垂れ込めています。
準備は万端整いましたが、アイダが失敗したのは?
 
『 アイダは うしろむきになって まどのわくをこえ、 まどのそとの そのまたむこうへ でていったのです。 』
 
後ろ向きで窓を越えたこと。
この後の展開を考えるなら、 後ろ向きで飛び込んで目標を失った、 ということでしょうか。
 
結果、空をふわり飛んで赤ちゃんの手掛かりを探すアイダです。
見開きの右側には青い木戸の窓から後ろ向きに飛び込むアイダの姿が描かれ、 左には三人のゴブリンにさらわれていく赤ちゃんが 石橋の眼鏡橋を渡っているところが描かれています。
 
橋の側の船着き場のようなところには、 小さな赤い帆船が一隻つながれています。
アイダは木戸の窓から体を投げ出した瞬間で、 無重力空間に浮かんでいる感じがします。
窓の下には気の柵があってひまわりの花もアイダを見送っているようです。
 

空を飛ぶアイダ

 
『 アイダは なんにみないで ふわふわとんで、 どろぼうたちの どうくつのそばを とおりすぎてしまいました。 けれど そのうち とおいうみから、 ふなのりのパパのうたが きこえてきました。 』
 
黄色いマントが空飛ぶ絨毯のように 中空に浮かぶ四つ這いのようなアイダ。
空は満月で明るく照らされ雲も銀色に輝いています。
 
浮かんでいるアイダの下のほうにふたりのゴブリンと赤ちゃん。
遠くに帆船が見える穏やかな海岸。
水差しのようなランプに火がともっている洞窟。
 
この部屋からみた窓の景色は荒れ模様でしたが、 「まどのそとのそのまたむこう」の世界の景色は、 妙にすがすがしく描かれています。
 
藍色の月光に照らされた空や雲は美しく、 海も凪いでいて平穏な印象を与えます。
 
マントで浮かぶアイダからは、 「赤ちゃんを取り戻さなくては」という意志を感じされる一方で 「どうしよう」という不安、畏怖、躊躇、思案、逡巡などが うかがわれる表情をしています。
人が未知の場に飛び込んだ時に陥る表情なのでしょうか。
 
『 「うしろむきでは なんにもならぬ くるり まわって ホルンをおふき あかんぼさらいの ゴブリンたちの けっこんしきが はじまるよ!」 』
 
聞こえてきたパパの歌の場面は 様々な景色と大勢の人物で構成されています。
 
中空のアイダは大勢を反転させ、 マントをまとったまま横泳ぎのような形で手足を伸ばし、 先ほどの表情から目を見開いて何かを見つめているまなざしに変わっています。
 
ふたりのゴブリンがいて、ひとりは石階段に槍をもって立ち、 もうひとりはさほど距離が離れていない岩場の上にランプを掲げて座っています。
 
赤ちゃんは洞窟の中でおとなしそうに座っており、 その横、場面の左下に青い上着を着た男がふたり岩場に寄りかかり、 こちらを見ています。かすかに微笑んでいるよう。
 
その向こうには帆船も見え、彼らは船乗りなのでしょうか。
(アイダのパパ?)その反対側右下にはランプの洞窟の奥には、 アイダの家の庭のあずまやにいるママが描かれています。
 
「ママは おにわの あずまや。」の景色です。
その洞窟の上には羊の群れの中で横たわる男。
帽子をかぶりあちらを向いて眠っている様子。
アイダは空を行きながらパパの歌を聞いて、
状況を知って、次に自分が何をすべきか考えているようにみえます。
 

ゴブリンの赤ちゃんたち

『 そこで アイダは くるりとまわり、 たちまち けっこんしきの まっただなかに とびこみました。 ところが、ゴブリンたちときたら いもうとみたいな あかちゃんばかりで、 あしを ばたばたさせては はなを ぶうぶう ならしていました! 』
 
アイダは地上に降りました。
五人の赤ちゃん~実はゴブリン~が座ったり寝転んだり 苦虫をつぶしたような、泣き出しそうな表情でお生き生きと描かれています。
 
どうも天井が低い洞窟のようです。
床にはダチョウの卵ほどの大きさの割れた殻がおちていて、 それを手に持つものもいます。
 
ゴブリンのマントはグレーでしたが、 この世界では月光に照らされて、少し輝いてみえます)を頭にかぶっています。
これでアイダは赤ちゃんがゴブリンだとわかったのでしょうか。
 
描かれた赤ちゃんの裸体はとてもリアルで お座りできるようになった赤ちゃんってこんな感じだった、とどきどきします。
そもそもゴブリンはなぜ赤ちゃんになっていたのでしょう。
 

アイダへの目くらまし?

アイダはたくさんの赤ちゃん(ゴブリン)をみて、行動を起こします。
 
『 「なんて うるさいんでしょ」と、 アイダは いってやりました。 そして、すぐに うっとりするような おんがくを はじめました。 ゴブリンたちは じぶんでも しらないうちに おどりだしてしまい、 どんどん はやくなる おどりに たちまち いきがつけなくなってきました。 』
 
黄色いマントは片袖になって左足を立たせた片足立ちで、 ホルンを吹くアイダが凛々しく、 赤ちゃん(ゴブリン)たちは立って右側へ向かって走りだして(踊りだして)います。
 
表情はとても大人びて踊っているわりには楽しそうな感じは受けません。
遠くに月光に照らされた穏やかな海、帆船が一隻雲をバックに浮かんでいます。
 
『 「ひどいよ アイダ」と、 ゴブリンたちは いいました。 「こんなに おどっちゃ めがまわる」 けれど アイダは へいきで どんどん ちょうしを はやめていきました。 さあ、こんどは ふなのりが つきよにおどる いさましい ホーンパイプおどりです。 』
 
テンポが早くなった踊りでゴブリンたちの中には、 しりもちをつくものやバランスを崩した姿が左ページにまとめて描かれています。
アイダはマントを脱いで右手に持ち、 勢いのよい姿で大きな歩幅をとってホルンを吹いています。
 
アイダの向こうには大きな満月と光る海。
ゴブリンたちは目がまわりすぎて目を細め 笑っているような弛緩した表情にみえます。
確かに目が回るとこんな表情になっている気がします。
 
『 ゴブリンたちは ぐるぐるまわって おどりながら、 とうとう みんな かわにはいり、 うずまくみずと いっしょになって すぐに みえなくなってしまいました。 』
 
五人のゴブリンたちは腰から下が水で、 手をのばしたり浸っていることに陶酔しているような表情にもみえます。
 
目線は伏し目がちなものが三人、 二人は横の遠くのほうをみているようです。
アイダは川辺にいて足元の川面が光っています。
 
ゴブリンたちとは反対の地面のほうに目をやり、 かすかに微笑んでいるようです。
うずまく水と見えなくなったゴブリンたちの表情を不思議です。
 
水に浸かっているゴブリンだけをみたら、 水遊びをしているようにも見えますが、 遊んでいる明るさは感じられません。
 
『 でも ひとりだけ たまごのからに すっぽりおさまり、 ふんふんうたったり てをたたいたりしている あかちゃんがいました。 そして それこそ アイダのいもうとに ちがいありませんでした。 』
 
月の光に照らされた青白く光るアイダは、 片膝をついて両手をさしだして赤ちゃんを見ています。
場面右下に大きな卵の割れた殻に座ってアイダを指さしている赤ちゃん。
 
アイダが赤ちゃんを見つけたのです。大喜びするでもなく、 落ち着いた眼差しと慈愛に満ちた表情、 広げた両手は赤ちゃんを抱こうとしているのでしょう。
 

家路へ

 
『 アイダは おおよろこびで あかちゃんをだきしめ、 こみちのように うねうねながれる おがわにそって、のはらを あるいてかえりました。 』
 
小川が流れる森の中を、ホルンを持ち赤ちゃんを抱いて歩くアイダ。
赤ちゃんの輝いた顔。この小川はゴブリンが見えなくなった小川なのでしょうか。
 
川向うに赤い屋根の小屋があって戸や窓が開け放たれ、 ピアノを弾いている男の人がいます。
小屋の向こうには小山があり羊飼いが羊を連れてみえます。
 
空は明るい青色。
アイダたちのまわりには蝶が四羽、 羽ばたいていて側の樹木の枝がまるで両手を開いたように ふたりを向かい入れているようです。
 
これまでの世界と一変した明朗な景色が 小川の向こうに描かれています。
これまでアイダがいた 窓の外の世界とママがいる現実との境界なのでしょうか。
 
『 そして とうとう、こんもりまるい おかのうえまで もどってみると、 ママは あずまやにいて、 そこには パパのてがみが きていました。 』
 
そして、現実の世界です。
最初の庭の場面、左の小道から赤ちゃんを抱いたアイダが現れます。
アイダたちの後ろに見える森はうっすら暗く、足元に残っています。
 
犬も立ってふたりのほうをむき、 ママも手紙を持った手を差し出して前のめりになって出迎えています。
この姿ではじめて意志を持ったママを見たように思います。
パパの手紙がきているのよ、と嬉しそうです。
 

パパからの手紙

 
『 「パパは そのうち かえりますが、 それまでは パパの いさましい ちいさなアイダが、 いつもアイダのことを おもっている パパのために、 あかちゃんと ままとを みていてくれることと おもいます」 』
 
あずまやに足を組んで座るママは手紙を読みながらアイダの肩に手をかけています。
赤ちゃんは芝に座り込み犬と戯れています。
アイダはやっと少し子どもらしい表情で手紙を聞いています。
そして最後のページへ。
 
『 アイダは ちゃんと そのとおりに やったのでした。 』
 
ひまわりの花の前で赤ちゃんを うしろから支えて立たせて両手をとるアイダ。
ふたりは伏し目で描かれています。
 
ちゃんと赤ちゃんを守ることができたことに満足し、 充足して幸福そうです。

私的解釈の愉しみ

さて、冒頭にも記したように、 このお話には不思議なことがたくさんあるのですが、 きっとそのひとつひとつに意味づけしようとするなら、 それなりに可能でしょう。
 
いかなる解釈をも受け入れる許容があるのです。
たとえば私には、 無気力なママは、船乗りで留守がちな夫の影響なのか、鬱病のようにも見えますし、 その豊満な体型や様子から妊娠中なのでは? と考えてみたり。
頼りないママのかわりにアイダにママと赤ちゃんを託すパパの手紙は ママを気遣ったもので、アイダもわかって受け入れています。
けれど、理由付けすると途端に、俗的なものになってしまいます。
むしろそうした理由を考えずに、 不思議な世界を満喫するほうがより楽しめるようになりました。
 
アイダがゴブリンにさらわれた赤ちゃんを助けに行ったのは、 「まどのそとのそのまたむこう」が子どもやゴブリンの世界だからだし、 ゴブリンは無垢なものがすきなのでしょう。
 
ゴブリンが赤ちゃんに変身して、 踊る姿には苦笑してしまいます。
表情は大人で身体が赤ん坊だからで、 そのアンバランスさからでしょうか。
 

窓の外と内

 
アイダは未知なる世界に飛び込むとき、 ママの黄色いコートで身を包み、 魔法のホルン(おそらくパパのでは?)を持っていきます。
それらは肝心な時に適切なアドバイスを届けてくれる頼れる存在に、 ゴブリンの世界ではなっています。
 
ほとんどの場面に命の源である水の景色が描かれていて、 お話と連動していました。
すべての植物は生き生きとして動き出し、しゃべりだしそうです。
 
また、すっくと立つアイダの大きな素足が美しく、 雄々しくてとても好きです。
その立ち振る舞いも大げさで、舞台劇を眺めているようで心躍ります。
 
さて、なぜ赤ちゃんはさらわれたのか。
アイダがおもりしている時に、赤ちゃんにホルンを吹いてあげましたが、 それがゴブリンを引き寄せたのかもしれません。
 
なんといっても魔法のホルンですから。
 
ご訪問ありがとうございます。
絵本選びのきっかえになればうれしいです。

 

出会いとふれあいと別れを描く『赤い目のドラゴン』映画のようなシーンが印象的

映画にもなった「長くつしたのピッピ」 の作者リンドグレーンが文を書いています。
ふたりのきょうだいが出会ったドラゴンとの交流を 丁寧に描いています。

 

絵本ですが、かなり文章が多めです。
読み聞かせでは4年生、5年生、6年生によく読みました。

 

とても叙情的なおはなしでしっとりとした余韻を味わえます。
子どもたちも絵と文章に同期するように じっくりと聴いてくれる絵本です。
夕焼けが美しいので秋によく読みました。

 

赤い目のドラゴン

リンドグレーン 文 ヴィークランド 絵 ヤンソン由実子 訳
ページ: 32ページ
サイズ: 25.6x20.2x0.8cm
出版社: 岩波書店
出版年: 1986年

 

昔語りで語られる幼いころの思い出

 
わたしが小さかったころのこと、

 

と過去形で語られるおはなしです。
ある4月の朝、 唐突に豚小屋に現れた赤い目のドラゴン

生まれたばかりの子豚と一緒に、 当たり前のようにそこにいました。
それを見守る姉と弟。 なんの疑いもなく
「ドラゴン、だとおもうわ」

 

と姉の”わたし”はいいます。
生まれたばかりの子豚よりは
少し大きいドラゴンは、
飛び出したまん丸の赤い目、
恐竜の姿にこうもりのような羽、
ぽっこりお腹のでた鮮やかな緑色です

 

ドラゴンに毎日えさをあたえにいくふたり。
ドラゴンは不思議なものを食べます。
使い残しのろうそく
ひもやコルク

 

そんなものが大好きなドラゴンです。

ドラゴンの愛らしい姿に笑みがこぼれる

ドラゴンは、動く姿もユニークで愛らしい。
表情も泣いたりすねたり笑ったり
ついつい感情移入してしまいます。

 

やんちゃな子どもをなだめすかすように あいてをするふたりです。
いつもは子ども役のふたりですが、 ドラゴン相手だとふたりは親のようです。

 

くるくる変わるドラゴンの表情に魅せられます。

 

赤い大きな目に涙をためてみたり 豚小屋のすみでふてくされてみたり、
そして 日々は過ぎてゆきます。

 

出会った春から半年、 10月2日、 ドラゴンとの別れの時です。

 

映画のワンシーンのような美しい別れ

大きな出来事が起こるわけではありませんが、 ドラゴンとの出会いと別れ、 それ自体が大きな出来事といえるでしょう。

 

茜色の夕焼け空の太陽に向かって飛んでいくドラゴン。
見開き1面に描かれたドラゴンと太陽の場面に 大空を飛んでいるような気分になります。

 

茜色が、嬉しさと悲しさを ないまぜにしたような場面となっています。
さいごに
…わたしたちのドラゴンのことをかんがえて、なきました。

 

ドラゴンに出会えたら なんてラッキーなこと、と 子どものあなたもきっと思うことでしょう。

 

このおはなしを読んでいるあいだ、 時間が穏やかにゆっくり流れているかのようです。

 

ご訪問ありがとうございます。 絵本選びのきっかけになればうれしいです。

 

『月おとこ』月からやってきた男は地球を観察する

空に浮かぶ月は、絵本にもたびたび使われるモチーフです。
「かぐやひめ」は代表的な伝承昔話。

 

そこにあるのに届かない、わからない、
不思議な世界がひろがって想像がふくらみますね。

 

ご紹介するのは絵もお話もデフォルメが利いて
楽しい!!

 

登場人物がみな特徴があって
忘れられない風貌の人々ばかり。

 

読み聞かせでも
おかしな風貌の主人公をはじめ
おはなしの展開にも目を丸くする子どもたちでした。

 

小学4年生くらいまで読みました。

 

月おとこ

トミー・ウンゲラー 作
たむらりゅういち・あそうくみ 訳
出版社: 評論社
出版年: 1978年
ページ: 39ページ
サイズ: 30.8 x 23.4 x 1.4 cm

 

ユニークなキャラクターが勢ぞろい

トミー・ウンゲラーはなんといっても そのキャラクターの際立ったユニークさ。月おとこが青白い体に白いスーツ姿、 月の満ち欠けで全身がが半分いなったりします。

 

月から眺めていた地球の人々の暮らしが あまりに楽しそうだったので、
ちょっと仲間になって いっしょに踊ってみたい。

そんな軽い気分で、流れ星につかまって、 地球にやってきたのですが。
それからのテンヤワンヤが描かれます。

 

ユニークなのは主人公だけではありません。

 

ほんのちょっと出てくる
アイスクリームやさんや
カメラマンや兵隊さんや消防士、
政治家や将軍も科学者も、
とにかくキャラが濃い、のです。

 

花や樹木、動物たちも
やっぱり濃い、です。
結局、異邦人ですから(宇宙人、月人) 地球ではのんびり暮らせないと悟った月おとこです。

 

月への宇宙船を飛ばすことを夢見ていた科学者の ドクトル・ブンゼン・バン・デル・ダンケルに出会って 月へ帰るのです。
 
博士は眼鏡とヒゲと鼻の長いこと、その名がユニーク。 動物や群衆たちもみな過剰な表情をしていて、 見ている方も気分高揚。
 
月おとこがいちばん人間らしくみえるから不思議です。
読み聞かせすると子どもたちは
この科学者の名前がユニークで
みんなで、早口言葉のように言い合うのです
 
さて、あなたも挑戦してください。
スラスラ読めないと子どもたちの前では読めませんね。
読むたびに、この名前だけは
繰り返し呪文のように読み返してから読みました。
 

いまここにいる場所はつまらない?はなれてみてわかること

最初と最後のページには
まるい月におさまった月おことが、 にんまり顔でこちらを眺めています。
 
やっぱりここはいいところ、とでも言いたげな。
見知らぬところへの憧れと現実のギャップ、 笑って元のさや(月)におさまって。 全体的に深いトーンの色でまとめられた絵が、 濃いキャラクターたちに落ち着きを与えているようです。
月からみる地球は楽しそうにみえるのでしょうか。
一度は月からながめてみたい、そんな気持ちになる絵本です。
 
ご訪問ありがとうございます。
絵本を選ぶきっかけになれたらうれしいです。

 

動物の世界を垣間見る『いたずらこねこ』ネコとカメの様子を実況中継

登場するのは動物だけ。
 
そうした世界を描けるのは、
絵本のひとつの楽しみといえます。
 
ご紹介するのはネコとカメのおはなしです。
小学1年生から3年生まで読むことが多かったですね
 
子どもたちもが、ネコとカメの動静に
どきどきするのが
読んでいても伝わってきた絵本です。
 
いたずらこねこ
バーナディン・クック作
レミィ・シャーリップ絵
ページ: 48ページ
サイズ: 26 x 18.2 x 1.2 cm
出版社: 福音館書店
出版年: 1964年
 

同じ画面構成で進むおはなし

同じ場面、ネコとカメ、黒と緑。
シンプルな構成で最初から最後まで 淡々と描かれています。立ち位置と姿勢だけでいろいろなことが わかると気づかされます。
 
ネコとカメが右に左に、 駆け引きに余念がありません。 はじめ左右の端に位置していたカメとこねこですが、 時間が進むにつれて、距離が近づいてきます。  
そして交錯しネコが左へカメが右に。 ネコがカメの池に落っこちて、
 
その驚きの表情がなんともいえず。
一目散に飛び出して垣根の向こうに退散します。見開きで24場面あります。 パラパラめくったら動画になりそう。

読んでもらうことで絵に集中できる

絵もさることながら、
こまかな動きのひとつひとつを、 丁寧に書いてある文が、
読んでもらった時に、 よりワクワク感を感じるようになっていると、
とあらためて感じました。ネコの毛並みの描かれ方や カメの模様が線で描かれて目を引きます。 
ネコとカメの視線のぶつかり具合も、 接近戦の楽しさ、火花が散ってます。

身近なものを観察してみたら

擬人化されたおはなしを
楽しむタイプの絵本ではありません。
 
こちらからネコとカメの様子をのぞき見している、
 
そんな絵本です。
ネコとカメは会話するでもなく、
彼らの様子が淡々と語られるのです。
 
それが実況中継となって、
あれ、次はどうなるの?
 
そんなふうに子どもたちを惹きつけます
 
身近なものを観察して実況中継してみましょうか。
細かな変化に色々と気づくきっかけになりますね。
 
ご訪問ありがとうございます。
絵本選びのきっかけになっればうれしいです。
 

トランクになにを入れる?『かしこいビル』こだわりやお気に入りができたら読んでみたい

この絵本の特徴はなんといっても、
本文も表紙もすべてが手描き文字で書かれていることです。

 

なんとも味のある文字で、子どもすぎず大人すぎない文字。

 

一文字の中にも太さの強弱、
一行の中でも文字の大きさに大小があり、
行が上下に揺らいでいたりします。

 

文字のみのページもあって色がついたり、
絵とともに文字も一ページごとに楽しめる絵本になっています。
文は少ない絵本ですが、絵が多くを物語っていて、
文章のリズムもあって、読むと5分ほどの絵本ですが
小学1年生、2年生によく読みました。

 

なんと! なんと!!

 

では笑いが必ずおきました。
かしこいビル  
ウィリアム・ニコルソン 作
ページ: 23ぺージ
サイズ: 25x18.2cm
出版社: ペンギン社
出版年: 1982年
 

いつでも一緒にいたいモノたちと旅へ

おはなしのはじまりは、1通の手紙がメリーに届くところから。
おばさまとのなんとも微笑ましい手紙のやりとりがあって、 メリーがおばさんの家へ行くために、
  持っていくものを吟味しています。 メリーのお気に入りの人形、ブラシ、赤い靴、ポットのあれやこれや、 それらが場面いっぱいに描かれています。
 
これらのものを選び、旅に持っていくメリーのワクワク感が、
あらわれているようです。
中でも兵隊の人形がメリーにとって特別なものであることがわかります。
  そして、そのビルを慌てて連れていくのを忘れてしまったメリー。 おいてけぼりを食ったビルの追撃の凄まじいこと。 4ページにわたって飛ぶように走るビルが、
変わる景色とともに描かれています。
 

特別な存在、兵隊の人形ビルが動き出すのは

とうとうー」
のページでは列車の遠くにドーバー海峡の海が見えています。
メリーにたどり着くまでの走りに走るビルの雄姿にはほれぼれします。
そして最後、駅で追いついたビル!(思わずヤッタネ!!)
最後のページにはトランクの上に乗って、
黄色の花束をメリーに差し出すビルと受け取るメリー。
 
一緒に旅したあしげのアップルやスーザンたちも見えます。
「ああ、よかった」と安堵する二人のとお気に入りのものたち。
 
トランクはメリーの世界そのものです。
 
置き忘れてしまったビルが自ら動き出す、
ビルはメリーなのでは、
と絵本を何度も読んで感じました。
 
でも本当に走ってきたのかな、
忘れたと思ったものが思わぬところから出てくる、
なんてこともままありますからね。
 

願いをかなえてくれるお気に入り

どこかへ出かける時に、
何かしら大事なものを忘れてしまうことは、
日常でよくおこりえることです。
 
子どもにとっても、いつもも肌身はなさず持ち歩くもの、 そばに置いておきたいものを忘れてしまった時には、
せっかくの旅も台無しになりかねません。
 
そんな時、大人でも子どもでも思うものです。 忘れたものがこの場に飛んできてはくれまいか、と。
 
やはり、
メリーの大のお気に入りであるかしこいビルが、
そんな願いを痛快にかなえてくれる、
そんな愉快な1冊なのです。
 

トランクにつめるものは何か、と考えてみましょう

メリーのトランクにはいろんなものが詰まっています。
 
子どもの中にもこんなふうに、いろんなものが詰まっているのかしら、
と読み返すたびに微笑んでしまいます。
 
この絵本は子どもと一緒にながめて、
荷物の中身をあれこれ物色するのも楽しいです。
 
そして自分なら何を入れようかしらと考えてみると、
いまあなたに本当に必要なものは何か、
わかるかもしれませんね。
 
ご訪問ありがとうございます。
絵本選びのきっかけにしてなればうれしいです。
 

『かいじゅうたちのいるところ』彼方への旅は子どもの心のままに

好奇心旺盛な子どもたちにとびきりの絵本をご紹介します。

 

いつでもどこでも空想の世界に羽を伸ばせることができるのが、
子どもの特権です。

 

モーリス・センダックはアメリカを代表する絵本作家です。
「かいじゅうたちのいるところ」は実写映画にもなりました。
(出来栄えは…さておき)

 

息子が3歳のとき、大のお気に入りで、
何度もなんども読んで、暗記した絵本です。

 

自分のひざに抱えてながめていた絵本です。

 

彼の描く子どもたちは本当に子どもらしい、子どもなのです。

 

かいじゅうたちのいるところ

 

モーリス・センダック 作
じんぐう てるお 訳
ページ: 40ページ
サイズ: 24.8x23cm
出版社: 福音館書店
出版年: 1975年

 

ある日、マックスは大暴れ。
すると、部屋は森になって、
かいじゅうたちのいるところへ旅だった。

 

そこでに王様になって、いい気分、サイコー!!
でもやっぱり家に帰りたくなって、
帰ってくる。

 

こういう話をあんなふうに描けるセンダックの凄さ、です。

 

描かれた、千差万別のかいじゅうたちを観察する

かいじゅうたちは、ひとりとして同じではありません。

 

  • 顔は、ひげ面、角がある、鼻が大きい、団子鼻、赤鼻、
  • 目は、ぎょろ目、吊り目、
  • 髪は、長くて赤い、黒髪にパーマネント、ショートヘア? 鶏冠のように立ってる、
  • 体は、毛並みの色も縞々、鱗もよう、赤茶の毛、黄色、ダークブルー、
  • 歯は、尖ってる、平べったい、
  • しっぽは、長く柔らかそう、短くくるんと、にわとりのよう、
  • 足は、鋭い伸びた爪、ひとりだけ人間の足、

 

マックスは真っ白なオオカミのぬいぐるみを着こんで、
見てくれは、かいじゅうたちに似ています。

 

それがかいじゅうたちの国のルールといわんばかりです。
かいじゅうたちは、子どもであるマックスを大歓迎します。

 

空の色が時を示す、絵のタッチは繊細かつユニーク

線描のように描かれた、
かいじゅうたちの毛並みや地面、
船の帆やマックスの部屋は柔らかい印象です。

 

マックスが到着したときは、薄っすら青い空。
遊んでいる間はずっと月がでている夜。
帰りたくなった時の空は茜色、
夕やけの色は、
子どもが家に帰りつく時間を空が示しています。

 

かいじゅうの国の夜空に浮かぶ月は、
マックスがいる間に三日月から満月になっています。
随分長くいたわけですね。

 

子どもの絵本にしては暗めの配色ですが、
秘密めいたかいじゅうの国らしいと思えます。

 

子どもはひとりになると、すぐに旅に出ていきます

友だちや夢中になってのひとり遊びをしている子どもは、
いま、この時を十二分に生きています。
遊び疲れてひとり一息つくと、
【かいじゅうたちのいるところ】へ
あっという間に旅(眠る、妄想や空想に浸る)に出ることができるのも、
子どもです。

 

ふっと、今まで騒がしく遊んでいた子どもが、
静かになった…なんて思ったら、
きっと彼は、かいじゅうの国にいるのでしょう。

 

空想のかいじゅうたちの世界とは、帰る場所とは

現実世界から空想の世界への一足飛びは、
子どもの頃は自然に簡単にやっていたことなのでしょう。

 

ですから、
子どもはこの絵本が大好きです。
かいじゅうたちの王さまになれるなんて、
なんて素敵でしょう。

 

かいじゅうの国では、
魔法を使える、
命令し放題、
夜ふかしもへっちゃら、
好きな時に好きなことができる、
誰にも邪魔されない、
叱られることもない、

 

でもやっぱり家に戻りたくなる、

 

何でもできるようで、でも面白くない…
それは、まだ経験していないことがたくさんあるからね。
そしてほかほかのごはんがある幸せを、
叱られてもやんちゃができる子どもでいることを、
子どもは確認したくなるのです。

 

そこが現実世界、子どもにとっての大切な場所。

 

マックスがかいじゅうたちのいるところから戻った、
部屋の窓から見える大きな丸い月が、夜を告げています。

かいじゅうのいるところ、とは何でしょう

船に乗って長い時間をかけて辿りつく場所。

 

マックスが王さまとなったかいじゅうの国は、
大人社会でしょうか。
かいじゅうの国は、自由だけれど自分次第。
白いオオカミのぬいぐるみは、旅のパスポートだったのかな。
だから大人には着れない。

 

ですが、子どもたちは特別な存在です。
なんといっても、
まだ世の中に出て間もないですからね。

 

マックスのように行ったり来たりしながら、
ゆっくりと船旅を現実で進んでいくのですね。

 

ご訪問ありがとうございます。
絵本の解釈は個人的なものです。
絵本選びのきっかけになればうれしいです。

 

『あたまをなくしたおとこ』◆伝える力とは!言葉だけで見たものを説明してみよう

人に見たものを伝えるのって難しいですよね。
子どもたちが園や学校から帰ってきて、
一生懸命に見たものや出来事を話してくれる時、
どれくらいちゃんとわかってあげられているかしら、
と思います。

 

人の特徴を語るのも難しいことです。
実際にあってみたら、アラこんな感じの人なの、
と思うこともよくあることですね。

 

それが、説明すると案外難しい。
70億人もいる人間ですが、
持っているパーツは同じなのに、
みな、違いますからね。

 

それって、すごい!

 

絵本を読んであらためて思いました。

 

読み聞かせでは、5年生、6年生によく読みました。
みんな、次はどうなるんだろう、
と前のめりで聴いてくれました。
読み終わったあと、
とんな頭だった思っていたのか、
披露しあったりして、
わいわいできる絵本でした。

 

あたまをなくした おとこ

 

クレール・H・ビショップ 文
ロバート・マックロスキー 絵
もりうちすみこ 訳
ページ: 54
サイズ: 226.2x18.2cm
出版社: 瑞雲社
出版年: 2010年(初版1942年)

 

「あるあさ、おきたら、あたまが なかった」ならば、どうする?

この絵本はこんなふうにはじまります。
ベッドで頭を手で探っているパジャマ姿の男(?)が、
あわてた様子で描かれています。
あるあさ、おとこが おきたら あたまが なかった。
中表紙には目覚まし時計がけたたましく鳴っている絵があり、 ページをめくると、先の一文と頭のない男が、 水玉柄のパジャマを着て、ベッドで身を起こして、
両手で頭のあたりを探っているようすが描かれています。

 

あるものがない!という絵は少しぎょっとします。
家じゅうを自分の頭を探し回る男。 たんすの引出やクローゼットは散らかり放題。 なぜ頭がないのか思い出そうとする男。
「あたまが ないのに おもいだすのは むずかしい。」
懸命に考えて、ブタをつれてお祭りに行ったことを思い出しました。 そこでお祭りになくした自分の頭を探しに行くことにするのです。
さて、男はきちんと着替えて
「あたまの ないまま でかけるわけには いかない。」
と、背広にカボチャをくりぬいて目や鼻をくりぬいて、 カボチャに帽子までかぶって出かけます。
笑顔のカボチャ頭に黒スーツに縞のネクタイ、 フェルトのソフト帽を片手に、なんてチャーミングな姿。

 

頭のない男は、歩いて行くうち村の人々に会って、
昨日の自分の様子を知っていきます。
カボチャ頭は目立ちすぎ、畑でニンジン頭に変身。 やっぱり目立ちすぎて、丸太に目鼻をきざみ、
かみやすりをかけて丸太頭が完成します。

 

村の人たちには頭らしくみえたとあって、
ようやくお祭り広場につきます。

 

マックロスキーの有機的な曲線で描かれる絵は、 部屋の様子や人の動きに不思議にリアリティがあり、 頭のない人の姿はユーモラスでさえあります。

 

お祭り広場の見開きには、万病に効くへびの油うりや、 見世物ステージ(ふたつあたまのうし、
にんぎょミニー、かいりきイーディス、 げてものぐい!などの看板あり)、
ぴたりとあてますあなたのたいじゅう、 なんてコーナーもあり、メリーゴーランドや観覧車、 大きなテントも見え大変なにぎわいです。

 

いろいろまわって自分の頭の手がかりを探す男。

 

どんなあたまか、あれこれ想像してみる

(ネタバレなので絵本で知りたい方は次の見出しまでとばしてください)

 

なかなか見つけられずにベンチに腰かけていると、 ひとりの男の子がやってきます。
頭を探す役に立てるという男の子は、 なくなった頭の特徴を詳しく聞き出します。
会話するうちに、なくした頭は、
 ふつうサイズで、かたちは まるい、いろは ピンクで、 だんごばな、そらいろの めは やさしくて せせらぎのごとく きらきら かがやき、まゆは ゲジゲジ うすちゃいろ、 てんねんパーマの くもなす かみ、ちょっぴり おおきめの よくある みみ、でっかい くちに、きれいな は・・・
ここでようやく、なくした頭がどんな頭だったのか、わかりました。
さてこの特徴を読んでどんな頭だと想像しますか?

 

男の子は、たったひとつの言葉と、
しぐさで頭を取り戻せる、と言います。

 

どうしても頭を取り戻したいおとこは、
男の子に頼みます。
「わし、やってみるよ」と。
(わし、と自分のことを呼ぶ翻訳センスが見事!?です。
 時代が古い感じがでていますが、もしや少年はこの男の少年時代?
 でも髪形が違いますね)

 

男の子はポケットからぼろきれをたくさん引っ張り出し、
グルグル・ギュウギュウまいて大きなグローブみたいになります。
 「おじさん、 よういは いい?」 「いいとも! だが、いったい なにを はじめるんだ?」 「まほうの ことば、 とっぴん ぱらりの ぼっかーん!」
挿絵では、すごい勢いで右腕を振り回す男の子。
「まほうの ことば、
 とっぴん ぱらりの ぼっかーん!」
(絵本でも大文字でどかーんと書いてありますよ)
座っているベンチがひっくり返るほどのパンチを、
顔面に受ける頭のない丸太頭の男。
(このパンチの絵がスピード感があって、本当に痛そう!)

 

男の頭あたりには、一面星がひかり、めまいと痛みがかけぬけ・・・ると、

・ 

・ そこには頭を取り戻した男が、ベッドに起き上がっています

 

同じおはなしを何度も楽しめるわけ

夢落ち。

 

物語の結末を「夢でした」で終わらせること。
ややもすると物語の世界観をそこねる場合があって、 評価がわかれることがあるようです。

 

落語でも夢落ちの噺はありますが、 落語は結末がわかっていても演者や演出次第で楽しめます。

 

この奇想天外なお話も同様に楽しめる作品になっています。
もちろん、はじめて読むときが一番ドキドキしました。

 

頭のない男は、頭をとりもどせるの?  お祭りのどこでなくしたんだろう?  一体どんな顔をした人? 

 

様々に変わる場面を楽しみながら、わくわくして読み進みました。

 

絵本のすみずみを、よ~く見てみると・・・

頭をなくした男を取り巻く村の人々やお祭りお様子が、 具体的でわかりやすい絵で描かれており、
眺めているだけで楽しい。

 

男はお祭りで、
ボーリングや射的、輪投げをし、メリーゴーランドに乗り、 手品や綱渡りに驚き猛獣を見物して腰をぬかします。

 

女性のワンピースやエプロンの柄、
子どもの服~男の子のズボンつりは縄?
つぎはぎだらけのズボンに穴のあいた靴、 いろいろな形の帽子、
農作業の道具や古き良きアメリカの時代が見えます。

 

ひとりひとりが想像するあたまは、みんな違うはず

また、男の子に自分の頭を説明する頭のない男は、 頭・目・鼻・口・耳の大きさや形、その特徴を細かく語ります。

 

「そらいろの目がせせらぎのように輝く優しい目」ってどんな目かしら、
と想像力をかきたてられます。

 

結末で男の顔が最後に描かれたページで、
「こんな顔だったんだ!!」と驚きました。

 

自分が想像していた、あたまとの違いに
びっくりしたものです。

 

私たちも自分の顔(頭)の特徴を人に説明してみましょうか。

 

よく見て、よく考えて、
そうしたら新しい発見があるかもしれません。

 

ご訪問ありがとうございます。
絵本選びのきっかけになればうれしいです。