深読み!海外名作絵本100

発表から25歳年以上読み継がれている”これだけは読んでおきたい”海外の名作絵本の数々。 読み聞かせ歴15年、のべ9000名をこえる子どもたちに絵本を読んできました

『金のがちょうのほん』昔話の摩訶不思議な世界

レズリー・ブルック文・画のこの絵本には、
副題にあるとおりー四つのむかしばなしーが収められています。

「金のがちょう」「三びきにくま」「三びきのぶた」「親ゆびトム」、
いずれもイギリスの昔話、日本人にもなじみ深いおはなしです。
絵本が出版されたのは1904年ですから100年以上も前のこと。


昔話の絵本は、文を書く人、絵を描く人によって随分と印象がかわります。
この絵本は写実的で線が細くて繊細、
ですが、どのおはなしもどこかクスッと笑えるような風刺が効いているのは、
イギリスの作家だからでしょうか。


色使いも独特で、表紙のオレンジが全他のベース色になって印象的。
レトロな雰囲気が線画と、一見すると子どもの絵本のように見えませんが、
存外子どもはこうした絵本も好きなようです。

 

 


「金のがちょう」では、三人の息子が登場しますが、
末の息子は親にもさんざんな扱われよう、呼び名も”ぬけ作”です。
描かれるぬけ作もおじいさんのように見えます。


兄たちと同様に森に木を伐りにいきたいといい、
同じように森で小人に出会います。
持ち前の優しい心根が功をそうし、金のがちょうを手にするのです。
その後の紆余曲折、小人の助けもあり、笑わないお姫様を笑わせ、
王様に認められ姫と結婚して王様となるしあわせに暮らすのです。


ぬけ作が最後には王様らしい風貌になっていました。


「三びきのくま」では女の子が”きんきらこ”という名前で登場します。
くまたちの表情豊かで、とにかくユーモラスなのです。


「三びきのこぶた」のぶたたちの、椅子に座った様子や暮らしぶりは
まさしく人間風刺そのもの。
躍動感あるぶたたちの姿がとにかく楽しい。


「親ゆびトム」では人間がたくさん描かれていますが、
大人みな癖のありそうな人ばかりです。
小さなトムが愛らしい。


日本のおはなしには見られない、イギリスの雰囲気を伝える1冊です。

『ブルーベリーもりでのプッテのぼうけん』子ども時代に出会える冒険を心ゆくまで

 

ブルーベリーもりでのプッテのぼうけん

エルサ・ベスコフ 作

おのでらゆりこ 訳

出版社: 福音館書店

出版年: 1977年5月

 



プッテは かごを 二つさげて もりへいき
ました。ブルーベリーとこけももを つんで、
おかあさんの たんじょうびの おくりもの
に したいのです。でも、いったいどこに
あるのでしょう。

おはなしはこうしてはじまります。


ですが、ちっとも見つかりません。
涙をこぼすプッテのそばに、小人のおじいさんが現れます。
ブルーベリーもりのおうさまです。

おじいさんの杖に触れるとプッテは、小さくなります。
そしてもりを案内されブルーベリーの子どもたちのところへ。
森の中をかけめぐり、
こけももかあさんと五人の女の子のところでは、こけももを摘み、
ブルーベリーの男の子とこけももの女の子と楽しく過ごすのです。


そして、おうさまに七つ数えなさいと。
すると、もとの切株に腰かけていました。


ちゃんと、青い実と赤い実は二つのかごに入っています。
みてください このかごを!
最後のページはおかあさんへの贈り物と手づくりのカードです。


なんてきれいなブルーベリーの青とこけももの赤。


小さくなったプッテに対し、大きく見える自然描写、
草花や木々、森の動物たちが迫ってきます。
森に流れる川は、緑を映して、緑色に描かれていて、
本当に自然をよく観察しているのがわかります。


大判で遠目にも鮮やかな絵本は、
小学校の朝の読書でも読みました。
絵を囲む枠が森の生き物に飾られて楽しげです。

 

さて、プッテは女の子でしょうか、それとも男の子。

どちらにも見えながら中性的ではない。
子どもたちが自身を自然に投影することができ、
森の中でブルーベリーを摘むことができるのですね。

『ルピナスさん』世の中を美しくするためにできること

ルピナス。

言葉にしてみると、また声に出してみると、
流れるような、そして美しいひびきを持って、
名前の美しさそのままのピンク、紫、白のパステルカラーの花。

 

作者はバーバラ・クーニー、現代アメリカを代表する絵本作家です。

いちばんの特徴はその端正な筆致、居住まいを正したくなるような絵です。
面で描かれた絵、品のよい色使いと色の数、光を多く反射している色。

見開きの片側に目いっぱい書かれた絵は、一枚の絵画のようです。
見ていると、草原の黄緑と蒼い海が心に残ります。

タイトルの副題に、ー小さなおばあさんのお話ー。
ルピナスさんが大おばさん、という姪が語る形のおはなしです
なぜルピナスさん、と呼ばれるようになったのか、その一代記。

 

子どもの頃の名前はアリス、海辺の町に住んでいました。
絵描きのおじいさんの膝の上に座って話すふたり。
世界中を旅して、おばあさんになったら海のそばの町に住むというアリスに
おじいさんはこういいます。


「それはけっこうだがね、アリス、もうひとつ、しなくてはならないことがあるぞ」
「なんなの?」
「世の中を、もっとうつくするために、なにかをしてもらいたいのだよ」


大きく育ったアリスは、ミス・アランフィアスと呼ばれ、世界中を旅するのです。
そして時は経ち、おばあさんになって、海のそばに家をみつけ暮らしはじめます。
家のまわりの岩がごろごろの土地を耕して花の種を撒きました。
具合が悪くなったときにベッドからルピナスの花が見えました。
一番好きな花。


回復してからルピナスの種を夏中、村のあちこちにまいて歩いたのです。
次の年、村じゅうがルピナスの花であふれました。
それが、おじいさんとの約束でした。

さいごは白髪のおばあさんになったルピナスさんが子どもたちに語るのです。
「世の中を、もっとうつくしくするために、なにかしなくては」


絵本の中にある光の表現が好きで、クーニーの絵本をながめると心洗われるのです。

 

『あおい目のこねこ』へんてこはすてきなこと

この絵本は青い目をもつネコがネズミの国を目ざすおはなし。

 

あおい目のこねこ

エゴン・マーチセン

せた ていじ 訳

出版社: 福音館書店

出版年1965年4月

 


1965年が初版ですから、半世紀を越えました。

本の厚みも12㎜ほど、右ページに絵、左ページ文字、
山吹色の栞もついて、長いように思いますが
文は1行から4、5行が最も多く(最後のページだけ13行)
じつにテンポよく読めるおはなしです。

いわゆる単行本サイズで、絵本と読み物の中間に位置する本。
小学校でもよく読みました。
次々にめくられる本をみるもの楽しいようですね。

「1のまき」から「7のまき」まであるおはなし。


出だしは

むかし、青い目のげんきなねこが
おりました。
あるとき、こねこは、ねずみのくにを
みつけにでかけました。

顔の半分は青い目、目を大きく見開いて好奇心旺盛な表情。

なにしろ、ねずみのくにをみつけたら、
もうおなかをすかすことがありませんもの。

いろんなところを旅しててんやわんや、散々な目に合いながらも

「なーに、こんなこと、なんでもないや」


とやり過ごします。


「4のまき」で黄色い目をした5匹のネコに出会います。
自分がほかのネコと違って青い目であることを自覚させられます。
そして、自分で自分を観察して、
青い目がちっともへんてこでないと自信を持つのです。

ひょんな出来事から青い目のこねこは、ねずみの国を見つけます。
まるまるふとって、黄色い目のねこたちの元に戻り、
一緒にねずみの国へ行くのです。
青い目のこねこはみんなに、

「ありがとう、こねこくん。
 ~青い目だって、へんてこじゃない。
 とってもすてきで、きれいだなあ」


とおわります。

 

へんてこ、と思ってしまうこと。それをすてき、と思うこと。

同じことなのに正反対。ならばすてきなことと思う方がステキです。

 


絵は筆ペンで書いたような柔らかい線で、
長い線も短い線でつながれながら描かれています。
背景もほとんどなく、ねこの動きと表情のみ。
いやおうなくねこたちに集中することになります。

紙の色の白、色も青(い目)と黄(色の目)、黒の濃淡が使われているだけです。
時折入る黒バックが効果的に物語のアクセントになっています。
見返しは、こねこの目の青色一色、で鮮やか。

 

猫の思い出をひとつ

昨夜9時ころのこと。
2階から降りてきていたハチが玄関先にいましたら
何やら物音、引き戸が少し開いたらしいのです。

「今、ネコが戸を開けた」
えーっ、
ハチがネコの手を目撃しておりました。
ホントにネコってとを開けるんだ、と。

つい最近、中里の方へ訪ねた家の玄関先に箱が置いてあり、
「この箱、どうしたんですか」
「ネコが戸を開けるから置いてるんですよ」
その時は、まさかと思いつつ、でも対策までしてるんだから
本当なのだろうけれど。

まさかわが家にもやってくるとは。
ハチが目をやって声をあげると、さっと逃げたようです。
ネコの大きさ体重で、あの玄関の引き戸を開けることができるとは、
今更ながらに驚きです。


『ゆかいな かえる』生き物の躍動感が伝わってくる絵本

 

 

ゆかいな かえる

ジュリエット・ケペシュ 作

いしい ももこ 訳

出版社: 福音館書店

出版年: 1964年7月

 

 
4ひきのカエルが楽しげな表紙。
ミドリとアオは自然に溢れた色、使われている色もこの2色に白と黒のみ。
水辺のアオがほとんどページのばっくの色なので、文字は白ヌキです。
 
見返しのオタマジャクシがカワイイ。
カエルをはじめ、登場するサカナ、サギやカメが動物の表情は擬人的的ですが、
全体は骨格で描かれています。
カメのこうらの数もちゃんと13です。
おはなしは、オタマジャクシからカエルにかえり、季節を過ごし、
雪の降る冬に土の中で眠る、そんな時間を描いています。
ひいらいた ひいらいた と ぐるぐる まわる。
ばしゃん‼︎てが はなれて しりもちついた。
 
石井桃子さんのリズミカルな訳が心地よい。
 
ゆかいなかえるのユーモラスな表情をみるにつけ、
願わくば、カエルの路には出会いませんように。
 
 
 
さて、この絵本を読むと思い出されることがあります。
 

季節は梅雨前ころだったでしょうか。

雨が降る山道、通る車は少なく
長野から新潟へもどる途中、
ヘッドライトに照らされてひどく何かはねているよう、
まさかカエルとは。

そう、こちらでは雨の日に、カエルがものすごい数はねる道路があるのです。
 
きゃー、と叫びつつも車を走らせる事を止めるわけにもいかず、
カエル道を行くのです。
きっとタイヤには、ど根性カエルのピョン吉たち。
 
2009年の大地の芸術祭ガイドブックの北川フラムディレクターのコラム、
ディレクターのはなし②で同じことが書いてありました。
 
里山巡りの楽しみー動物・昆虫
〜夏の越後妻有の楽しみのひとつは、動物や昆虫。〜雨の日のドライブも気をつけなくてはいけない。ライトに照らされた越後妻有の路はカエルの乱舞。翌日車輪を見ればカエルのセンベイでいっぱいだ。〜
コラムでは、フクロウやムササビ飛び立ち、オニヤンマが車に向かって飛んでくる、レッドリストのギフチョウやカモシカに出会うこともあり、キツネ、タヌキ、ヘビの類はそここに。
〜山野草や径庭の花も含め、アートに導かれての里山巡りは生命の輝きに溢れている。
と結ばれています。
 
まったくだな、と思います。
 
 
 
 
 

 

『きこえる きこえる なつのおと』日常を音で見てみる試み

 

 

きこえる きこえる なつのおと

マーガレット・ワイズ・ブラウン 文

レナード・ワイズガード え

よしがみきょうた やく


さわやかな水色の空とひまわりの花が夏を演出しています。

子犬のマフィンを乗せた車は牧場をめざして走ります。
マフィンがみる夏の牧場のいろんな音。
なんだろうという、好奇心。
いつもと違う場所で、耳をすまし目をこらす。

マフィンと一緒になって牧場を探検してみたくなります。

うま、うし、かえる、おんどり、ねこにねずみ、ひつじ、つぐみ・・・
動物たちの営みの様々な音をきくマフィン。


そのとき そらから へやじゅうの いすを ひっくりかえしたような おおきなやまが うごいたような はらぺこきょじんのおなかが なったような おとが きこえました。
いったい なんの おと? 

夏の嵐に驚くマフィンでした。


どの場面も色鮮やかで楽しくなります。
ほとんどの絵が面で描かれて、動物たちも堂々。
均一に塗られた空や草原が目に鮮やか、
断ち切りで色が塗られていて、広がりを感じさせます。
またワイズガードの絵の構図がユニークです。
文字のおき方も文字の色も、ページごとにすべて違います。
場面の色や構図にあわせてあるんですね。
こんな雄々しい雄鶏を見てみたい。
柔らかそうな子羊に触ってみたい。


開くだけで気持ちが明るくなる絵本です。

 

 

『せんろはつづくよ』きみとぼくのつづく明日へ

2だいの ちいさな きかんしゃが
せんろの うえを はしります、
2だいの ちいさな きかんしゃは
にしへ むかってしゅっぱつです。

ぱふぱふ ぱふぱふ
ちゃぐちゃぐ ちゃぐちゃぐ
ぱふぱふ ぱふぱふ
ちゃぐちゃぐ ちゃぐちゃぐ

 

せんろはつづくよ

マーガレット・ワイズ・ブラウン 文

Jシャロー え

与田準一 訳

 

出版社: 岩波書店

 


線画で最新式の機関車と旧式の機関車が、
左右から線路をこちらに向かって走ってくる、
そんな場面にこの文がつけられて、おはなしは始まります。

ぱふぱふ、が最新式の機関車で、
ちゃぐちゃぐ、が旧式の機関車はの音です。
最新式はグレイ色で、男の子が乗り、
旧式はピンク色で、女の子が乗っています。

10年ぶりくらいに読んだ絵本ですが、
驚きました。
まず、絵。
線画の自由な、のびのびとした線路や風景が、
いきいきと描かれています。
使われている色も7色ほどで、トーンが統一された印象です。



トンネルの白と黒の長い線、
雪の大きな降りよう、
細い煙や巨大な煙、
渦巻く風や大きな月や太陽、

その表わしかたの洒落ていること。
こんな風であってほしい、
という見え方を描いてくれているようです。
このあたりの絵は本当に素敵です。

 

雪と雨と



機関車には男の子と女の子が、
雨や雪では傘をさしたり、月夜の夜は毛布をかぶって、
旅をするのです。
また、機関車には牛やがちょうが乗っていて、
その表情が場面ごとに変わって楽しいです。

おはなしの中で彼らのことは語られず、
最後に、きみとぼく、と語られます。

そのおはなしも、ひたすら西へ機関車はむかう、というもの。
何があっても、西へ西へ。
いろんな時を過ぎて、

ようやく にしに つきました。
おおきな あおい うみでした。
2だいの ちいさな きかんしゃは
のこえ やまこえ きたのです。
ながい ながい たびでした。
くたびれたけど きみとぼく
あかるい うみに つきました。
たのしい うみに きたのです。

アメリカの西部開拓を思い起こさせる西への旅です。
海について、ふたりは着る物を脱ぎ捨て、海に入ります。

彼らにとって西への旅は辛く恐れるものではない、
ということが、その表情からわかります。
淡々とひたすら進むこと、
どんなことが起こっても、恐れず行き先を見て、
子どものあるがままの成長をみたようでした。

マーガレット・ワイズ・ブラウンとジャン・シャローは、
「おやすみなさいのほん」でもコンビを組んでいます。
こちらの絵本をさきに読んでいたので、
細い線のシャローの絵の巧みさにうなりました。
(おやすみなさい~は太い線が温かみをもった絵になっています)

 

見返しもポップ。
機関車が輪になって磁石のまわりを走る、
そしてそこに機関車にのっかって楽しげなふたりも描かれています。

どこまでも、せんろはつづくよ、を感じさせるものです。
 
 

 

『うちがいっけんあったとさ』スキップするような気持ち

うちがいっけんあったとさ
 
ルース・クラウス 文
モーリス・センダック え
出版社: 岩波書店
出版年: 1978年11月

 


センダックはいろんな絵を描きますが、
これは線で描かれた絵が、自由に動きまわっています。

青いズボンをはいた男の子が、それこそスキップするように、
動き回って楽しそう。

おはなしというより、歌のよう。
出だしは、

ちんとんしゃん、と男の子
見開き一面、黄土色一色にこの構図、お見事
チラリと見えますが、見返しも濃紺一色でひきしまります

ちんとんしゃん

うちが いっけん あったとさーーー
りすの うちでは ありません 
ろばの うちでも あるません
ーーーしりたかったら さがしてごらんーーー
どこの とおりに あるのかな
どこの よこちょうに あるのかなーーー
ぼくだけ しってる うちなのさ。

と、こんな感じ。
ところどころに、口三味線のような文もみられます。
たとえば、

おつむ てんてん つるてん つるてん つるてんしゃん。
てれつく てんてん すててん てん


わけわかんない動きの子どものおもしろさ


男の子がリズムに合わせておどります。

渡辺茂雄さんの日本語訳のセンスの良さに脱帽です。

意味は分からないけれど、音で楽しむ言葉と、
センダックのリズミカルな絵で、
みて聞いて楽しめる絵本です。

同じセンダックとクラウスのコンビによる絵本。
いずれも子どもの見ているであろう世界と思考の世界を表現しています。

 

 

「ぼくはきみで きみはぼく」 
 昨年ようやく訳された絵本、アメリカではロングセラー

 


「あなはほるもの おっこちるとこ」

 

  子どもたちの世界を垣間見るよう

夕方4時すぎのこと。
小学校の通学路を元気にひとりスキップする男子がいました。
10歳くらいかな、久しぶりにみました。


かばんも背負っておらず、軽やかな足どり。
スキップは走るでもなく、歩くでもなく、
走るより遅く、歩くより早い。
そんな少年をみて、思い出した絵本です。

 

『おおきなのはら」自然をまわりをよくみること

カラフルな表紙をめくると、
見返しには虫捕り網とバスケットを手にした男の子と女の子が、
家を後にするところ。
燦々と輝く太陽の照りつけるのはらへ。
さて、のはらはどんなところでしょう。
 
おおきなのはら
 
ジョン・ラングスタッフ 文
フョードル・ロジャンコフスキー え
さくま ゆみこ 訳
 

文を書いているラングスタッフが、お話の前にこう語りかけています。

このつぎ、いなかに いくときは、
このほんに でてくる どうぶつが、
のはらに いるかどうか、 さがしてみようね。
そうっと あるきながら、よーく みるんだよ。
きっと みつかるよ。
 
見開きで1種類づつ、野原に棲む動物たちの様子を語ります。
その数が1から順に増えていきながら10まで。
カメにキツネ、コマドリ、リス、ミツバチにビーバー、
カエル、フクロウ、クモにウサギの10種類の動物たち。
 
場所も、砂地に草の中、木の上、小川の中に緑の沼、松の木陰など、
大きな野原のあちらこちらに視線が動きます。
 
作者の言葉のように、
じっくり、よーく、見ること。
意識を持って見ると、たくさんのことに気がつきます。
それがとても大切なことなんだと、
この絵本でよくわかります。

最後のページは絵のみ、夜の野原に登場した動物たちが集う
春の時期に読みたい絵本、
そして野原に出かけたくなる絵本です。
 
 

 

願いごとをすることは叶うということ『ケニーのまど』

センダックがはじめて絵と文を自作した絵本。
七つのなぞなぞをめぐる不思議なおはなし。

ケニーのまど

モーリス・センダック 作

じんぐう てるお 訳

出版社: 富山房

出版年: 1975年12月

 

 

 

 
1.だれかに だめといわれても、 こくばんに えをかくには どうしたらいいか?
2.だれかさんだけの やぎって なんだ?
3.やねのうえの うまは みえるか?
4.やくそくを やぶっても とりかえしが つくか?
5.ききいっぱつって なんだ?
6.なかも そとも みえるもの なんだ?
7.ねがいごとをしてから きもちが かわること ないか?

ケニーのまどは、饒舌なセンダックのファンタジーで、
ひとつひとつのなぞについて、全開で語りかけてきます。
 
さて、なぞなぞの答え、わかりますか。
例えば、6のこたえは、「ぼくのまど」

ふしぎだけれど、ぐいぐい引きこまれます。
絵もやっぱりとてもうまいです

そして小学5年生にこの本を読んでいて、気づいたこと。

「~ねがいごとは、いきたいところへ とちゅうまでいったのと おなじなんだ」

以前にも読んだことがある本だったのに、
この時、猛然とこの意味がストンと自分に入ってきた気がしました。
 
 
 
 
「かいじゅうたちのいるところ」
「まよなかのだいどころ」
「まどのそとのそのまたむこう」
 
削ぎ落とされ選ばれた言葉と、
センダックならではの、それぞれの絵本にあった表現力と画力で、
見るものに縦横無尽の想像力を与えてくれる絵本たち。
 
ある意味、すごく説明的で言葉を膨らませて紡がれた
「ケニーのまど」
これもセンダックの優しさなのだと、
読みかえすたびに思うのです。
 
なぞなぞの答えを全部知りたい方は、「ケニーのまど」へどうぞ。
 
 

仲直りに言葉はいらなかった『きみなんか だいきらいさ』

お正月休みに帰省していた息子のハチが
6年ぶりに小学校時代の友だちと会うとのこと。
 
センダックのこの絵本を思い出しました。
 
子どもの頃、
仲直りに理由はいらなかったことを思い出しました。
 
 
きみなんか だいきらいさ
ジャニス・メイ・ユードリー ぶん
モーリス・センダック え
こだま ともこ やく
 
出版社: 富山房
出版年:1975年5月
 
 
表紙はつんけんしている男の子がふたり。
ジェームズ」と「ぼく」。

とっても仲良しだった、水ぼうそうにも一緒にかかったくらい、
でも、きょうはちょっと様子がちがうよう・・
 
「ぼく」は雨が降る中、ジェームズの家に行き、絶交宣言するのです。

「きみとは ぜっこうだ!」
「いいとも」
「さいならあ!」
「さいならあ!」
(雨あがる、お日様が出ている。一呼吸あって)
「ねぇ、ジェームズ!」
「なんだい?」
「ローラー・スケート やらない?」
「オッケー! クルクルクッキー はんぶん あげる。」
「ありがとう、ジェームズ!」

(おしまい)

この絵本を読んで、思い出しました。
 
子どもの頃どうやって友だちになったのか。
そしてどうやって友だちでなくなるのか。
 
嫌いになる理由はいっぱいあるけれど
仲直りするのに理由はいらなかったっけ。
 
いつでもどちらかが、声をかけるだけでよかった、
子どもの世界。
 
懐かしさが迫ってきました。
 
 
「ぼく」の微妙な心情が絵をみているとよくわかります。
描かれる子どもはとてもチャーミングなのです。
 
 
小さな子どもには、現在進行形な出来事です。
 
大人には、遠い日を思い出す絵本になっていると思いました。
 
 

 

『しりたがりやのちいさな魚』◆好奇心と自由

スゥエーデンの絵本作家エルサ・ベスコフのちょっとユニークなお話。

読み終えるのに15分はかかる、かなりお話しの量がある絵本です。
 
日差しが強く感じられ水辺が恋しくなる
5月から6月によく読みました。
 
ちょっとおかしな魚たちの姿が子どもたちの笑顔を誘います。



しりたがりやのちいさな魚

 
  • エルサ・ベスコフ作・絵
  • 石井登志子訳

 

ページ: 24

サイズ: 26 x 19.4

出版年: 2001年

出版社: 徳間書店

 

魚に足が生えたなら…

 

表紙には、桟橋に腹ばいになって、水の中を覗き込むトーマスの姿。

水の中ではなにやら相談中の4匹の魚たち。

 

スイスイは魚のスズキの子、とてもしりたがりやです。
ちいさなスイスイは、さかなの仲間たちと話すうち
「水のないところ」「ニンゲン、みてみたい」と好奇心を刺激されます。

そしてある時、釣りにきた男の子トーマスに釣られます。


さて、水のなかの魚たちは、スイスイを助けに行こうと
ブクブクバーバーという魔法衛お使えるカエルの魔女に、
なんと足を生やしてもらうのです。

 

3匹そろってトーマスの元へ。
 
「~ここにいたら、スイスイは、
しんでしまうわ。」
 
という、彼らの言い分に納得して、トーマスはスイスイを水に返しました。
 
スイスイたちを眺めてるうち、泳ぎたくなったトーマスは、
魚たちの助言で泳げるようになります。
 
 

なにが自由でなにが不自由か

〜きれいな水のなかを、すいすいおよげるわれわれとくらべてら、二本の足で、かわいたところを歩かなくちゃならないニンゲンガエルなんて、どいつもこいつも、かわいそうなもんだ!
 
ガミガミおじさんのこんなセリフでお話しは終わります。
確かに…。
 
魚目線で見るとニンゲンはかなり不自由な生き物に見えますね。
 
 
 
魔法で足を生やした魚たち、その姿の不思議なこと。
魚の形は手足のない形が完成形なのだと、つくづく感じました。

登場する魚たちの名前がも楽しい。
 
スイスイを助けに行くのは、
カレイのテンテンおばさん、コイのピカピカおじさん、カワカマスのガミガミさん。
 
まだ世の中(水の中)を知らない、
けれど好奇心はあって「なんでも知りたい!」スイスイ。
 
やんちゃな子どもは、経験をつんだ大人たちに
見守られ助けられ経験を積んで大きくなっていく。
 
そんな当たり前の世界をちゃんと描いてくれている絵本です。
 

水の中の世界を覗き見る

そしてどこか懐かしさを感じるパステルカラーのくすんだ色彩。
特別な水辺ではない、大きな事件が起こるような街ではない
日常が描かれる色彩に感じられます。
 
どこか50年代の映画の一場面のような印象を
いつも受けます。
 
しずかな水辺の優しい緑がかった青系の色が
涼やかさを感じさせてくれる絵本です。
 
そこに足をはやした魚たちが写実的に描かれていて、
それでいて不自然ではない。
 
こんな魚いるのでは!?
なんて思わせてくれる、絵のうまさに驚きました。

リアルなのに愛らしいのは、目線でしょうか。
魚たちの会話が聞こえてきそうです。


このお話しを読むと、
いつも水の中の魚のたちがうらやましくなるのです。
 
さいごにトーマスが魚泳ぎを裸ん坊で泳ぐ姿が、
とても気持ちよさそうです。
 
 
 
 
お読みいただきありがとうございます。
絵本選びの参考になればうれしいです。

『ティッチ』◆にみる兄弟の当たり前

 この絵本に登場するのは、三人の兄弟のみ。

ティッチ、は末っ子の男の子の名前です。

 

画面はシンプル。

ほとんど背景もありません。

(見開き3ページ以外は、紙の色の白が背景!)

 

三人の関係性だけに注目したともいえるでしょう。

 

小学校入学したての1年生によく読んだ絵本です。

 

ティッチ

パット・ハッチンス さく・え

いしい ももこ やく

 

ページ: 32

サイズ: 25.8 x 21

出版年: 1975年

出版社: 福音館書店

 

おはなしは…

おはなしのはじまりです。

 

ティッチは、ちいさな
おとこの子でした。

ねえさんの メアリは、
ティッチより ちょっと おおきくて、

にいさんの ピートは、
ずっと おおきな子でした。

 

ちいさなティッチが、持っているものは
いつもメアリやピートのものにおよびません。

(あたりまえですよね)

自転車や楽器、大工道具、兄弟のなかで見劣りするものばかりです。

(末っ子ってそうゆうものです)


けれど、

 

最後にティッチの持っていた小さな種が、
大きく大きく育つのです。

 (やったー!)
 
というおはなしです。
 
 

子ども時代の兄弟の当たり前


文章は淡々と情景を語るだけです。
感情を表す言葉はありません。


絵をみると、ティッチはさほどいじけたりしている様子もありません。

メアリとピートもちょっと自慢気な感じはありますが、
意地の悪い感じではありません。

感情が唯一見えるのが、植えた種がぐんぐん大きくなったとき、
この時ばかりは、メアリとピートは驚きの表情です。
ティッチは少し自慢げにもみえます。

もちろん作者のパット・ハッチンスの画風もあるのでしょうが、
兄弟の序列はこうしたもの、と思えるのです。
 

 画面のシンプルさから見えるもの

 
背景は、凧揚げの時家が描かれていただけで、
それ以外は白、というか紙の色。こうした絵本も珍しい。

すっきりと、今何をテーマにしているのかが明確になっているように思います。

色の数も少なくどのページも受ける印象は似通っています。
 
 

おはなしのおわりは、
(ピートは大きなシャベル、メアリは大きな植木鉢を持っていました)
 

ところが、ティッチの もっていたのは、
とても ちいさな たねでした。

そして、そのたねは、
めをだして、

ぐんぐん、ぐんぐん、

おおきく なりました。

 
よかったね、ティッチ。
 
 

一人っ子の息子は… 


一人っ子の息子は、この絵本を見て、
 

「わーっコレ懐かしい」 といってはらりはらりとめくって、


「えー、覚えてるの、あんまり読まなかったけど...」


「覚えてるよ、そうそう、こうでしょ、そう、ふ~ん」 だって。



記憶では2~3回だと思うけど、
学校でも数回、で息子のいるクラスで読んだかは記憶にないし。

子どもの頃の記憶って不思議です。
こちらが覚えてるでしょう、ということは記憶になく、
こんなこと覚えてんの、ってことを記憶していたり。

でも、絵本はほとんど覚えているみたいです。


絵も内容もシンプルで力強い、

そんな絵本を子ども時代にたくさんふれてほしいです。

 

 

お読みいただきありがとうございます。

絵本選びの参考になればうれしいです。